’20.1.20
毎日の生活に困らず、万が一病気や事故にあった時、回復できるだけの最低限のお金があればいい。大半の人は、資産に関してはその程度の希望だろう。
しかし世の中、富裕層と言われる億万長者もいれば、貧困層と言われる最低限の生活をしている人やそれ以下の人がいることも確かで、そこは国が生きていくための生活の保証してやるのが為政者の務めと思う。

今朝の日経の社説に、格差是正の政策についてかいてあった。その中から一部パクリ。
「資本主義に内在する短所は、幸福を不平等に分配することだ。社会主義に内在する長所は、不幸を平等に分配することである」。チャーチル元英首相が1945年にこんな言葉を残している。
いまや世界の大勢を占める資本主義国家に、経済の格差はつきものかもしれない。それでも豊かな者と貧しい者を隔てる壁は、看過できぬほど高くなりつつある。

スイスの金融大手クレディ・スイスによると、世界上位1%の高所得層が抱える資産は、全体の45%を占めるのに対し、下位50%の低中所得層の資産は全体の1%に満たないという。
国際非政府組織オックスファムの報告では、世界上位26人の富裕層が下位38億人の貧困層と同等の資産を保有していた。
ここまで格差が広がったのはなぜか。グローバル化やデジタル化は経済的な成功の条件を塗り替え、新たな環境に適応できる者と適応できない者の二極化を促した。政治の不作為や金融危機の打撃も重なって、置き去りにされた。
安易なポピュリズムや大規模ストライキ、各地で起こる抗議デモにも、格差への不満が見て取れる。そんな社説だった。

格差を生み出す社会の仕組みは、今言われている欧米型資本主義と国家資本主義にも、何がしかの関係があると思う。今や欧米型の資本主義では、会社が倒産してもそこの役員は、ゴールデンパラシュートで何億ドルもの退職金をもらって着地するらしい。
庶民はそんな富裕層の生活すら、想像もつかない。使い切れないほどの資産を持って、どんな幸せな生活をしているのだろう。富裕層と貧困層の間に、中間層があって大半の国民はこの中間層として毎日を送っている。国家の力は、この中間層が国を支配している限りは、その国民は安心して暮らせるような気がする。

格差の状況とそれに対する社会現象は社説に書かれているようなものか。それにしても我が日本国ではこのところ、上に揚げた社会行動は起こってない。格差はないのだろうか。
世界の情勢は、報道を見聞きする限りでは、いつ何が起きてもおかしくないほど緊迫した状況が続いている。世界の人々の格差を少なくするだけでも、この緊張は和らぐのではと思う。
社説には、格差是正は必要だがどうすればいいということは書かれてない。