’20.3.18
世界中が新型コロナウィルスに振り回されている。こんなミクロなウィルスに振り回されて、人間の尊大さ、愚かさ、弱さを自覚すればいいものを、いまだに目覚めず新型コロナウィルスを巡って国同士で争い、いがみ合っている。何とも人間は哀れなものと思う。
この疫病を防ぐためのマスクや、関係ないトイレットペーパーまでが無くなって、それらを求めて右往左往。それに付け込んで、金儲けをたくらむ者さえ出る始末。いつこの騒動が収まってくれるものか、日本は歓喜した東京オリンピックを控え、まっこと悩ましい状況にある。
そんな世の中で、モノの値段を考えるコラムが出ていた。日経の「大機小機」からのぱくりだ。

現代社会では人間が生きていく上で不可欠なものだからといって、ものの値段が高いわけではない。むしろ、多くの農産物や生活必需品は日ごろ、手ごろな価格で簡単に手に入れられる。その結果、その生産者の経営環境は決して楽ではないのが実情だ。
他方、なくても日常生活に支障はない奢侈品が高値で取りひいきされ、一部の生産者に大きな利益をもたらしている。
価格は需要と供給のバランスで決まり、希少性の低い商品は仮に地上生活に必須でも、値段が安くなるというのは経済学の基本法則である。
ただひとたび生活必需品が入手困難となると、人々の間でパニックが発生し、市場が機能不全に陥ってしまう。こうしたパニックや市場の機能不全は、当面の生活に必要のない奢侈品では起こらない。

新型コロナウィルスの感染拡大に伴う社会不安で、世界各地の多くの生活必需品が店の棚から姿を消す現象がおきている。政府は「商品の増産は進んでいて在庫も十分にある」と、パニックの鎮静化に躍起だ。
それでも買いだめが品不足を生み、それが更なる買いだめを誘発して品不足が深刻となっている。
マスクなど一部の商品を除けば、おそらく政府の説明は正しいであろう。しかし、実際に空っぽの商品棚を目の当たりにすれば、生活必需品だけはできるだけ買っておこうと言う人間の心理が働くのは無理からぬことだ。もしそれらの商品がしばらく手に入らなければ、日常生活で大きな支障が生まれるからだ。
現代社会では質の良い生活必需品を手ごろな価格で購入できることが、我々の生活を非常に豊かのものにしてきた。ただ市場に物があふれかえる時代、我々は真に生活に必要なものは何かをつい忘れがちとなる。
パニックの発生が、生きていく上で本当に必要なものは何かを改めて教えてくれている。

まあ、こんなことが書いてある。「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」というが、今回の疫病も今に限ったことではない。過去にも何回かあって、その都度当時の各国の為政者が知恵を絞って切り抜けてきたはずだ。
人が変わればまた一から大騒ぎするありさまを見て、何とかならないものかと年寄は思ってしまう。年を取ると言うことは、そんなことなのだろう。人生の歴史を重ねてきたものだから。