’20.8.8
8月15日、終戦記念日が近づいてきた。この時期終戦に関係する記事をよく見かけるが、今年の「特別の夏」はコロナの記事であまり目につかない。それでもよく見ると、コラムには終戦、戦後に関わる記事が載っている。
戦後と言っても4分の3世紀が経過し遠い昔のことになり、世相も随分変わってきたがとりわけ家庭、男女の力学の変化に言及したものが目につく。
そんなことに言及した作家 赤坂真理氏の、女性から見た男性性の同感のコラムからのパクリだ。

このところ男性らしさや男性性を嫌悪したり、男性であることに罪悪感を抱いていたりする傾向を感じる。男性のパワーを良いものとして発揮できる機会が減っているからかもしれない。
社会インフラが整ったことで、スイッチひとつでなんでも動き、日常生活から力仕事が消えた。優しい男性を望む女性も増えている。そのような戦後空間に適応するために、男性性がしぼんできていると見ている。

しかし性差のダイナミズムがなければ動かないところもある。日本の夫婦形成は見合いより恋愛が主流になり、マッチングが成立しにくくなっているのがその例だ。
独り暮らしが増え、これまでの家族の形を前提にした社会ではひずみが大きくなっていくだろう。家族の概念を広げることもありうる。恋愛するしないにかかわらず、親密な人がいた方が困らないことが多い。
親族の付き合いや地縁が緩むなか、ひとつの家族だけで人生の不確実性に対処するのも限界があるだろう。これまでとは違ったかたちで、帰属感をもちうるコミュニティーが求められていくだろう。

というようなコラムだが、男性と女性、社会を構成する要素がどう絡み合って力を発揮していくか。いやそういう性の違いではない構成で社会を動かしていく力。そんな力を発揮するコミュニティーを作ることは、性を意識することが多い日本では、なかなか作りにくいように思う。