’20.8.12
気温40度超えの夏がまたやって来た。真夏日、猛暑日、35度や40度の夏は、このところ当たり前になって来た。
日が落ちて道路端にばんこを持ち出し、うちわを扇ぎながらの夕涼みなんかは想像もできない。
国力は国の軍備を含む力だろうが、軍備は抜きにしても日本の国力は如何ばかりなものか。政治、経済をはじめ技術、文化、芸術に至るすべての点で、日本は2流になっている。並みの国なのだ。
しかしそんな自覚が未だなく、一流・トップクラスの国だと思っている国民が、私を含めて大半ではないだろうか。ここは、経済の成長力に限って、日経の「大機小機」から。

先月末、内閣府は、2012年からの景気拡大が18年10月までだったことを発表した。戦後最長の「いざなみ景気」(「いざなぎ景気」を超えた最長景気)を抜くかと言われていたが、そうはならなかった。
そんな中、最近紙面をにぎわせているのは、新型コロナウィする対策で経済活動がさらに制約されるのではということと、コロナ後の景気回復がどうなるだろうかということだ。しかしながら、より重要なのは、コロナショックを契機に、ここで日本が成長力を取り戻せるかだろう。

日本はバブル崩壊後、IT化による生産性向上の流れに乗り損ね、世界の中で低成長を続けている。成長経済学の教えるところでは、生産性の低い経済はより高い成長を実現できるはずである。それは、最近の発展途上国の成長ぶりりでも実証されている。
米国のおおむね半分強の生産性の日本は、米国よりも高い成長率を実現してしかるべきなのだ。ところが、日本はかつてのリーマンショックを経ても低成長を続けている。

思うにその大きな原因は、日本では成長戦略と称して、ケインズ的な景気回復策ばかりが行われてきたことだ。実は、ケインズ経済学には成長理論はない。では、どうして経済を成長させるのかと問われたケインズの答えは「アニマル・スピリット」だった。起業家精神とでも訳せばいいのだろう。
ケインズ的な財政政策や金融政策では経済成長はもたらされないのである。それがわが国では、最近でもMMTなる議論を足掛かりにケインズ的な経済対策が経済成長をもたらすという議論が行われている。
消費税を引き下げて景気を刺激すればいいといった議論だ。そのような景気対策では一時的な好況はもたらされようが、この場限りで必ずツケは回ってくる。いや、世界の中での長年にわたる低成長ということでツケは既に回ってきている。

その結果、日本は世界の中で縮むばかり、国民所得も相対的に下がるばかり。国の借金も積み上がっていくばかりになっている。いい加減に、まやかしの経済成長論から卒業して、日本の成長力を取り戻すために何が本当に必要なのか議論を始めるべきだ。
でないと、コロナ危機が終わってもリーマン・ショック後と同じ轍を踏んで低成長を続けることになってしまおう。

こんなコラムだが、やはり批評すれど回答はなしだ。