’20.8.15
コロナ禍の中、なぜこのことに関して今上天皇の「お言葉」が全くないのか不思議に思っていた。それなりの理由があるのだろうが、終戦の日にこんな記事がでていた。

戦後75年の「終戦の日」がめぐってきた。ただ、アジア・太平洋戦争を含む第2次世界大戦の終結は、日本が降伏調印した1945年9月2日とするのが世界の主流だ。
日本人が8月15日を終戦の日と位置付けるのは、昭和天皇の「玉音放送」が戦争を終わらせたという認識があるからだ。戦争継続を主張する軍を抑え込めるのは玉音(お言葉)だけだった。
玉音の力が絶大だっただけに、もしそれが軍の意向に沿うものだったらーー。本土決戦・一億玉砕まで突き進み、犠牲者は実際の何倍に膨れ上がったことか。
明治以降、天皇のお言葉である詔書・勅語は国民を一つの方向に進ませると同時に、異論を許さず思考停止にさせる作用もあった。戦後新憲法下の象徴天皇が戦前のような詔勅を発することが無くなったのは、玉音がもろ刃の剣だという理解と教訓があったからだ。

コロナ禍のいま、天皇皇后両陛下は赤坂御所で感染症、福祉関係の専門家などから頻繁に説明を受けられているが、「国民に寄り添う」象徴の活動は封印されている。そのため「天皇の顔が見えない」「国民を勇気づけるメッセージ(玉音)を出してもいいのでは」という声も聞かれる。東日本大震災直後の上皇様のビデオメッセージの印象が強いためだろう。
両陛下が引き継いだ平成の象徴のあり方には、社会的弱者や困難な状況にある人々に心を寄せることがあり、多くの国民の信頼と支持を得た。それは「一時の言葉」ではなしえないものだった。

震災の際の上皇様のメッセージは、即位後20年以上積み重ねてきた活動の上にある。
即位間もない時期に同じことをすると上すべりの印象を与えかねない。また、感染症対策は様々な異論が渦巻いており、お言葉がある方面の意見を封じる”刃”に使われる恐れもある。
このような状況での象徴天皇の役割は何か。答えは簡単には出ない。少なくとも、終戦の玉音放送のようなものではないだろう。

まあこういう記事だが、民社党が政権を取っていた時代、天皇を外交の手段にしたと問題になったことがあった。当時の小沢は、「天皇の行為は政府の助言に従う」と言ってのけた。
象徴天皇のお勤めも、誠に難しい仕事ではある。