’20.9.23
世の中には所属する世界をリードしていく、優れた資質を持った人がいる。中には天才といわれたり、何をしてそんな優れた資質を手に入れたのだろうと羨ましがられることがある。
私のような凡人は、なんだかそれが自然であるような気がする。そんな人がいるから、この世界は存在していくのだと。そんなことを思うとき、天才だとかとびぬけた資質を持っている人は、生まれながらにして優れた頭の持ち主だからだろうとぼんやりと思う。
天才は努力のたまものだとかいうが、どんなに努力しても挫折しては、やはり頭の構造が違うからだろうと思う。

私のそんな考えが当たっているのか違っているのか確認したいと思って、またぞろネットで探ってみた。そして、「メンタルセット」なる言葉に出会った。
東大薬学部を卒業して、作家や心理カウンセラーをやってる杉山 奈津子氏の著書から引用した文章が、幻冬舎のサイトに連載されたひとつに出ていた。

「メンタルセット」は人が行動を起こす時、何かを決めるときの判断基準になる自分の心のもちかたのことをいう。「思い込み」や「先入観」のことをさしている。
この「メンタルセット」の持ちようによって、天才と言われたり優れた資質を持った人ができあがると説いている。決して生まれつきの頭の構造が違うからではない。
頭のいい子、それは生まれ持った遺伝子のためだという人がいる。頑張っても頭の良さはある程度しか伸ばせない。これもそう思い込んでいる「メンタルセット」だという。
確かに小さい頃は生まれつきの要素が強いように思われる。ことわざに「十で神童十五で才子二十過ぎれば只の人」というのがある。確かにある年までは、努力しなくても勉強のできる子がいるが、中高校生位になるとそうはいかないのは実感する。

今は学歴で社会の処遇が良くなるということは、通用しない時代になりつつある。「オタク」というコトバがあるが、一つのことにバカになるほど打ち込むから、社会常識のない人間と思われている。
しかしこれからは、この「オタク」人間が貴重な存在になる。好きで一つのことに人一倍打ち込んでいると、思いもつかないその世界のリーダーになる。学歴はもはや関係ない。好きこそものの上手なれ、これも「メンタルセット」のひとつだ。
「メンタルセット」には、「固定タイプ」と「変動タイプ」がある。いわゆる「メンタルセット」を臨機応変に変えていくことだ。

杉山氏の文章には以上の様な主旨が書かれていた。
頭の良さは生まれながらと思ってしまうと、生きていく甲斐が無くなる。やはり人生、努力と鍛錬でひとかどの人間になれると思う「メンタルセット」が必要のようだ。