’20.10.22
<このまま行ったら『日本』はなくなってしまうのではないかという感じを日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るであろう>

三島由紀夫は1970年11月25日に自栽する約4か月前、「果たし得ていない約束」と題する文章を新聞に寄せた。社会学者で東京都立大学教授の宮台真司氏は作家の死に強い衝撃を受け、その意味を問い続けてきた一人だ。
「三島が捉えた日本の本質と彼が主張する天皇主義を理解する上でのこの文章はとても重要」と考えている。日本人にとって天皇の存在は必要不可欠であると三島が考えたのは、さもなくば日本社会が空虚なものになるという危機感があったからだ。

「日本人は敗戦後、一夜にして民主主義者に代わった。近年では一夜にしてLGBT(性的少数者)に、ダイバーシティ(多様性)主義者になった。日本人は周りを見回して自分のポジションを保ちたがる。空っぽで入れ替え可能な存在だと三島は見抜いていた」
日和見的な日本人の「空っぽ」を埋める存在が天皇であるという三島の思想に宮台氏は強く共感するという。「状況が変わろうとも一貫できるかどうかを考えたとき、よりどころとなる不動点が必要になる」

なにが国家と国民の「不動点」になるのか。宮台氏は米国を引き合いにだし、次のように語る。
「合衆国憲法の解釈は時代によってまちまちになる。だから憲法学者のローレンス・レッシングは『建国の父が生きていたなら何を言うかという意思が不動点になる』と言った。同じく天皇陛下ならどう思うかが日本の不動点になりうると三島は考えたのだろう。制度ではなく事実性の問題だ」
天皇はあらゆる日本文化の根源ととらえ、「文化概念としての天皇」の理念を説いた三島の「文化防衛論」(68年)は、論壇に波紋を起こした。
政治思想史家の橋川文三は、三島の天皇主義は近代国家の理論と整合しない、空想的なものであると痛烈に批判した。
「『天皇』とは単なる言葉でも人格でもなく、現人神としての存在であるということを、三島は自分の身を持って示すと答えた。そして特異な死を遂げることで、あとあとにまで残るシンボルとなり、後世を生きる人々に参照され続けることにかけたとも考えられる」

だが作家が身を賭して問うたのは、今の若い世代にどれだけ響いているだろうか。反時代的とも受け止められるその思想を考える前に、作家その人を知ることが重要だろう。宮台氏はその入り口として、今年公開されつ映画「三島由紀夫vs東大全共闘」を挙げる。

自決の一年前、約1000人の左翼学生を相手に三島が討論した一部始終を記録したドキュメンタリーだ。「イデオロギーは異なっても自分を討論に招いた学生らを三島は意気に感じ、言葉を尽くして対話している。こんな愛のある人に教えてもらえたらと思うだろう」
宮台氏は「50年前に三島が予言した通りの状況が今の日本にある」とみる。「人間は基本的に弱いことを三島はよく分かっていた。だから私たちげ生きるための不動点を見いだせるような扉を開けてくれた。日本が『空っぽ』な限り、三島の問いは有効であり続ける」

以上は日経に、記者の近藤佳宜氏が社会学者宮台真司氏とインタビューして書いた「三島由紀夫没後50年後の問い」という企画のコラムだ。
浅学菲才の私が三島由紀夫の思想が分かる由もないが、それを知る一つの分かりやすい記事だったのでパクった。
普通の人間は何かの意思を持って動いているが、その行動に規範がある人は幸せと思う。それが宗教であることが多いが、いわば人生の目標に向かって生活している。今の日本が「空っぽ」だとしたら、自分のことはさておき、この先日本はどうなることか考えるだけで寂しくなる。