’21.1.17
今年に入ってもコロナ感染の猛威は収まらない、収まらないどころか大きなピークを迎えている。その波の真っただ中にいるようだ。昨年当初から始まった感染は、一波、二波を経験して三波の中だという。
昨年初冬ごろから始まった三波、国会では「また新しい波が始まっているのではないか」、「いやそうではない」というような見当違いの議論ばかりがあった。経済との兼ね合いの中で政府が出す規制に、自治体からの圧力だの、規制の出し方が遅いなど政府と野党のやり取りは全くこの疫病の対策に建設的な議論になってない。
PCRという検査の仕組みがやっと整ったように見える中、検査が増えると感染者数が増える。今の時点で毎日7千人から8千人の感染者が出ている。
一方では、アメリカや中国で開発されたワクチンの接種が始まった。接種の効果の程はまだ見えないが、世界的に感染が収束の方向に動き出してくれることを願うばかりだ。今、これからも続く長い歴史の中で、「COVID−19」の蔓延という疫病の流行の歴史の証人として生きていることだけは確かだ。

このコロナの影響で世界は変わった。「ニューノーマル」、「コロナ後の世界」というような言葉でいわれるような新しい社会が間違いなく来る。とくにIT分野の開発、影響の力は、日常の変化の中でひしひしと肌に感じる。私のような80歳に近い高齢者は、こんな社会の動きに着いてはいけない。
そんな中でも何とかIT進歩の恩恵をうけようと、外出も人と会うことも制限される中ネットを使ってそれらしき疑似体験を試みている。WebexとかZoomとか言われるネット会議用のアプリを使って、同窓生だとか同期入社の連中と話をしているのだ。

ネット会議(飲み会)をやっていて、また気が付いたり嫌になったりするのが、ネット会話を通して透けてくる人間性だ。環境を意識し、雰囲気を意識しながらの会話ができる者とそうでない者がいる。仕方ないことではあるが、ここでも人間性が見えてくるのだ。
ネット会議は一人が話せば、同時に話す人の声は雑音でしかない。その雑音のため、肝心の話がよく聞こえない。
独りの話が会議を独占するから、延々と話されるとほかの人の話が聞けない。
自分の経験や経歴や自慢話は、ほかの人にとっては何の役にも立たない。会議から得られるものは、ただただ時間の浪費なんてことも感じる。

コロナ禍のなか、ITの進歩、使い方、認識は格段に進んできた。これをこの後の世界にどう生かしていくのか、興味はあるが私はそんな中に身を置くことができるかどうかの歳ではある。