’21.3.2
投資は何のためにするか、柄にもなくこんなことを考えてみた。生活するお金に事欠く私が、投資なぞおおよそ縁のない言葉だが、頭の中で思いめぐらすのはお金もかからず自由だ。

最近新聞やネットに、投資に関する広告やセミナーがやたら目に付く。国が行う老後の生活のための社会保障が心もとなく、若いころからお金を貯めて老後に備えろと煩く言われる。そのためには貯蓄から投資へ、その方が経済を活性化するお金の循環になるかららしい。
私のような老人は、90年代のバブルの頃は投資する金もなく、退職金でもらったわずかなお金を投資に回すころには、マイナス金利で定期預金にしても0.00数%という利息しか付かない時代だ。

そんな愚痴は置いといて、たまたま見かけた金融の新聞記事に、昨今の投資について書いてあり興味を持った。
オランダにある資産運用会社「ロべコ」の運用哲学は、「マネーにはよい社会を作る力が備わっていっる」というもので、投資の3要素として「リスク」と「リターン」に加えて「ウェルビーイング」を挙げているという記事だ。
投資にはリスクを持って行動し、その成果としてリターンがあるのは分かる。さらにウェルビーイング(幸せ、よい状態)がなくてはならないらしい。このウェルビーイングを生み出す企業には、積極的に投資をしたらいいと言われるようになった。

昨年来のコロナウィルスの感染拡大に伴い、投資家は事業を支える「人」に目を向け始めた。従業員を人的資本と考え、賃金を投資と捉え直す動きが広がっている。人の心身をよい状態に保つことは、資本の論理においても大きな意味を持つという考え方も、この方向を示す表れのように思われる。

そういえばサラリーマンとして働くことに、何を求めているのかという自問は何回となくしてきた。健康の「リスク」を冒して働き、給料という「リターン」だけなのか、そこには何事にも代えがたい「ウィルビーイング」があったからではないのか。
欲しいものを買うにも対価を払う「リスク」があって、自分の所有にする「リターン」を得るだけにとどまらず、そこに「ウェルビーイング」があればまた買おうと思う。

そんな会社や商品を作る企業が、栄えるのは当然のことだろう。投資家と言われる人も、そんな企業に投資するに違いない。社会の「幸せ」にマネーは共感する時代になったんだろう。