’21.5.10
新型コロナウィルスへの対応で、日本は苦しんでいる。ダメな日本の姿を、いや今の日本の姿を世界にさらしている。これが我が国の実態なんだと、国民が認識するいいチャンスなんだと思ったらいい。
日経のコラムをつまみ食いして、コロナがあぶりだした日本の国家体制の欠点を認識する。

人口千人当たりの病床数は先進国で最多なのに、日本の医療は逼迫している。ワクチン接種率でも先進国中、最下位のレベルだ。
コロナが世界を襲ってから約一年間。このありさまは医療や衛生体制にとどまらず、日本の国家体制に欠点があるということだ。その欠点とは平時を前提にした体制しかなく、準有事になってもスイッチを切り替えられないことである。
日本の仕組みはあらゆる面で準有事の立て付けが乏しい。法的な強制力はなく、外出自粛や休業を行政が国民に「お願い」するしかない現状は、その象徴だ。コロナ禍の第一波を抑えつけたときには、これが日本の美徳だと誇らしげに喧伝したころがなつかしい。
大戦後アメリカの占領軍に半ば強制的に押し付けられた今の憲法、その憲法に慣れ親しんだ国民は変えることを生理的に拒否する。平和憲法、その精神やよし、だが己の身の危険を誰が守ってくれのか。おんぶにだっこの習慣を、自立しろと言われると拒否する。そんなことに通じる国家体制の欠点。

近現代史の研究者らに尋ねると、戦前・戦中・と現状の国家運営には少なくとも3つ、共通の欠点がある。
明確な優先順位なき戦略
第一は、戦略の優先順位をはっきりさせず、泥縄式に対応してしまう体質だ。日中戦争もそうだった。いったい何をめざし、ゴールとするのか。政府の方針は明確でないまま戦いが広がり、国民の支持も十分得られなかった。
時代背景はちがうが、コロナ対策にも重なる面がある。感染封じ込め、経済の維持、東京五輪・・・。何を最優先にするのかが不明確なので緊急事態宣言は惰性となり、国民も従わなくなってきて来ている。

縦割り組織の弊害
優先順位が定まらない一因が、言われて久しい縦割り組織の弊害だ。これが第2の問題点である。ワクチン接種やPCR検査、コロナ病床の確保が滞る事情はさまざまだが、元凶の一つが省庁間や中央と自治体の連携が乏しいことだ。緊急事態宣言か、都は国立施設を閉鎖しろいう、国は開設するという。
ワクチンで言えば、接種の管轄は厚生労働省、輸送は国土交通省だ。各省庁に担当者がまたがるのは米欧でも同じだろうが、緊急時の調整力が日本は弱い。
戦前・戦中の縦割りはさらにひどかった。陸軍と海軍は予算や物資を取り合い、両軍内の派閥抗争も続いた。外務省内も米英はと枢軸派がぶつかった。これでは国策が定まるはずがない。英知を持ってこれらを指揮する指揮官が不在なのは、今も同じ。

根拠なき楽観思考
そして第3の欠点が、「なんとかなる」という根拠なき楽観思考である。日本はなぜか、最悪の備えに弱い。戦時中で言えば、勝ち目が薄い戦争を米国に仕掛けておきながら、明確な終戦シナリオを用意していなかった。
2009年の新型インフルエンザを受け、国の総括会議は翌年、感染大流行に備えた提言をまとめていた。保健所やPCR検査、ワクチン開発の強化などが並んだが、たなざらしになった。頭を抑えつけても、実行に移させる指揮官がいまだにいない。

真珠湾攻撃から今年で80年。コロナ危機は日本が引きずってきた体制の欠陥をあらわにした。今改善しなければ、将来、取り返しのつかない深手を負いかねない。

何とかなるで東京五輪を開催されては、国民はたまったものではない。さらに深刻なのは戦争リスクだ。脅威があるのに目をつむり、必要な危機管理の体制がほとんど進んでない。何が悪いのか、日本を引っ張っていく気骨のあるリーダーがいない。足を引っ張るばかりの野党。国民の意識はあるが、そんなリーダーを作り出す選挙制度がない。
なぜか思い出す。東京都知事選で立候補した鳥越俊太郎、テレビ討論の中で、「日本に戦争を仕掛ける国なんか本当にあるのですか。今時そんな国があるんですか、戦争の準備なんて馬鹿げてる」
だからといって、緊急時に私権を制限し、国家が統制を強められる体制づくりを急ぐべきだと主張するわけではない。むしろ、逆だ。
根本的な欠点を改めずに政府に統制の道具だけを与えても、危機対応能力は高まらないからだ。