’21.6.25
コロナ禍になってやたら横文字が目に付く。新聞を開くとDXという文字の出てこない日はない。最近はEXなる文字が目に付く。エネルギー・トランスフォーメーションというらしい。

昨日の新聞には「美浜3号機、40年超で初の再稼働」という見出しが目に付いた。原発の運転開始から40年を超す関西電力の美浜原子力発電所3号機が、10年ぶりに再稼働したニュースだ。日本の原発行政はどうするんだろう。エネルギー政策はどうするんだろう。いつまでも決めないで先送りするつけが、またいつか大問題になる日が来る。そんな解説をまたパクる。

国が必要とするエネルギーを何でまかなうのか、これを決めるのは政治と行政の責任だ。加速するカーボンゼロへ日本も世界に歩調を合わせたものの、実現の道筋を示すことができない。
使い続けるのか、やめるのか。決めることができない原子力発電は思考停止の最たるものだ。東京電力福島第一原発の事故以来、日本のエネルギー政策は原発をめぐる議論を慎重に避けてきた。
衆院選が迫り、原発をめぐる議論は再び出てこなくなった。これを繰り返す間に世界は変化し、日本の対応は遅れる。足踏みする余裕などない。高齢原発の再稼働は足元の需給改善には有効でも、使い続けることが解ではないだろう。2050年以降をにらみ、古い原発を建て替え、安全性を高めた新型炉に代えていく。この是非を問うのがエネルギー政策の役割のはずだ。

国民が原発に向ける目は厳しい。使用済核燃料の最終処分など、課題はたくさんある。しかし、カーボンゼロは経済・社会構造を作り替える挑戦だ。経済性や安全保障とのバランスを考えながら、とりうる策を総動員しなければならない。
再生可能エネルギーを最大限伸ばしても、すべてをまかなえないとすればどうするのか。経済産業省の審議会では電力を100%再生エネで供給する場合、50年の電力コストは足元の4倍に高まるとの試算が示された。
英国で開いた主要7か国首脳会議では、経産省が描く石炭火力温存の限界があらわになった。国内の石炭火力も遠からず退場を迫られる覚悟をした方がいい。

原発を使い続けるならどう国民の理解を得るのか。使わないとすればなんで代替するのか。国がその方向性を明確にしない限り、エネルギー政策は漂流し続けるだろう。
稼働期間を60年に延ばしても、いずれ稼働する原発はなくなる。その時に慌てても遅い。先送るを繰り返してはならない。

ざっとこんな解説記事だが、この手の記事を読むとこの先日本はどうなるのか心配になる。国力は企業や国民の力とそれらを引っ張っていく政治の力がなくてはならない。邪魔もしないがリードもしな政治では国力は下がるばかりだろうと思う。思うばかりで現役から外れたものは、何をすればいいのか、これが一番悩ましい。