’21.7.3
今年は中国共産党創設100年にあたるらしい、中国では大々的に祝典がなされたとメディアは伝えている。浅才ながら最近の中国を見聞きすると、習近平の共産党独裁政治はナチスのファッシズムに似ているのではないかと思う。
新疆ウィグル人民の迫害と言い、軍事力の強化と言い、周辺諸国の領域を我がものとしていく手段と言いよく似ている。
現代史をほとんど学んでない身としては、中華人民共和国の設立の経緯をよく知らないが、最近の中国のふるまいを理解するためにはそのころの歴史を勉強する必要を感じる。そんななか、また理解しやすく解説した新聞のコラムをパクってみる。

中国共産党の歴史は毛沢東に始まる。そのあとを継いだ最後の皇帝と言われるケ小平の改革・開放のレールを歩み、急成長を遂げてきた。
ケ小平の遺訓は「米国と信頼を増し、面倒を減らし、協力を発展させ、敵対しない」というものであった。ケ小平は晩年、次の指導者らにこのような遺訓を残し、必ず守るよう指示した。
後を継いだ江沢民は遺訓を守って対米関係を強め、クリントン時代に戦略的パートナシップを結んだ。次の胡錦涛は任期後半、対外路線を少し強気に攻めたが、米国との対立は避けた。
ところが、習近平は全く逆の方向に突き進んでいる。米国主義の秩序に挑み、米中関係は冷え込む。ワシントンでは昨年来、中国の言動にとどまらず、共産党体制そのものを敵視する見方も広がりつつある。

中国は強気な言動から周辺国やオーストラリア、欧州とも対立し、自らを孤立させている。爪を隠し、各国とも協調したほうが指導力を広げやすいはずだ。習政権はなぜ、各国を敵に回して超大国への道を生き急ぐのか。主要国の当事者や識者の間では、2つの仮説が交錯する。
第一は国力を増強し、自信過剰になっているという見立てだ。
第二の仮説は逆だ。油断したら91年に崩壊したソ連の二の舞になってしまう。こんな習近平の不安が強硬策につながっているというものだ。
どちらが事実に近いのだろうか。正解はいずれか片方でなく、両方と見るべきだ。

人間に例えれば、自信過剰と不安症を併発している状態に近い。その分、冷静さを欠いた行動に出る危険性が高まる。将来、この傾向はさらに強まるだろう。
共産党が民心をつなぎ留められたのは、人々の生活を底上げしてきたからだ。改革・開放路線を始めたケ小平の功績である。豊かさが頭打ちになれば、共産党の正当性は揺らぎかねない。

中国の歴史上、永遠に続いた王朝はない。だとすれば、「共産党王朝」はいま、何歳くらいに達したとみればいいのか。中国史を研究する京都府立大教授の岡本氏は「デジタルやハイテクを駆使する共産党は歴代王朝にはない装備を有する。今のところ盤石で、まだ老齢期に入ったとは思えない」と分析する。

こんな論調が今の中国共産党の見立てである。疲弊する民主主義に変わって、社会主義を標榜する昔のイデオロギー闘争の再来を懸念する向きもある。米・中の対立、どうなっていくのか、世界中で協力して撲滅しなければならないコロナ禍のなか、人間の知恵はどれだけ進んでいるのかと考える。