’21.12.12
きょうの日経の朝刊を読んで一人笑ってしまった。「文化」欄に漫画家でエッセイスト東海林さだお氏のエッセイが載っていた。週刊誌の漫画や「あさって君」の漫画は時々見たことがある。
おもしろいのでおすそ分けをしたいと思う。

「サンマ大好き」
中国の挨拶に、「ゴハン食べたか」というのがあるそうだが、日本には、「サンマ食べたか」というのがある。というのは冗談だが、毎年秋になると、挨拶の中にサンマが登場する。
挨拶の途中、「そういえば、今年サンマ食べた?」ということになる。今年はサンマが不漁で1匹400円!なので「まだ」
日常の挨拶にサンマが登場するなど日本人はサンマと近しい。サンマとイワシとアジは大衆魚といわれて一つのグループを形成している。
AKB48などと同類のアイドルグループ。グループのセンターはもちろんサンマ。何といっても人気は一番。タレントがその名前にあやかろうとするほど。
明石家さんま。
明石家さんまはいるが、柳家いわしはいないし古今亭あじもいない。日本人はサンマが好きなので当然エコヒイキをする。
寿司屋では独特の大きな湯飲み茶わんの壁面に魚偏の文字がびっしり。鮎、鮭、鯉、鰯、鯵・・・。ここで気が付くのはどの魚もたった1文字。なのにサンマはどうか。
秋刀魚、3文字。
他の魚は全員1文字で我慢しているのに悠々3文字。これをエコヒイキといわずして何がエコヒイキか。
魚の名前はもちろん湯飲みの壁面に書かれている以上にまだある。サンマに3文字も占められてあそこに出席できず泣いている魚がいっぱいいるという噂もある。

エコヒイキはまだある。話が少し飛ぶが、昔、名字帯刀を許されるのは武士とその周辺の特権階級のみであった。ところがどうだ。
秋刀魚。
平民のサンマに帯刀が許されているではないか。誰が許したのか。そのへんのところはまーいーじゃないの、というあたりにも、日本とサンマの近しい関係が滲み出ている。
そういう間柄なのでその身辺のことも心配する。いまごろどの辺を泳いでいるのか。秋が近づくと心配になる。北のほうからやってくるというが、いまは函館の沖あたりだろうか。それとも三陸の沖あたりだろうか。その消息も心配する。
消息というのは知人などの動向に使う言葉なのに魚につかっている。体調はどうか。痩せたりしてないだろうか。できれば太っていてほしい。健康状態まで心配する。
サンマは回遊魚であるが、ちゃんと海流に乗れているだろうか。安否まで心配する。

サンマの料理法というのはあんまりなくて、とにかく塩焼き。アイドルグループの一員であるイワシやアジは刺身として食べたい、とか、たたきで食べたい、とか思うものだが、サンマはそうは思わない。
頭の先からしっぽの先までピンと張った全身像を鑑賞しながら食べたい。日本人全員がそう願うらしい。塩焼きは簡単なのでテレビの料理番組でもあんまり取り上げられないが、たまーに取り上げられる。
料理研究家の女の人がいきなりこう言う。「まずはハラワタをこう取ります」などと当然のように言いつつハラワタを取る。
「何てことをするんだッ」と見ていたぼくはテーブルをハゲシクたたく。「許さんぞ、ワシは!」怒りのあまりワシになっている。
ハラワタこそ命。刀は武士の命。サンマはハラワタが命。
ワシはそう思っているのだッ。あの苦味。あのプックリ。そのプックリを歯で食いちぎるときのあの瞬間。料理番組の、あのハラワタ取り除きのシーンをみるだびにワシの頭に浮かぶ光景がある。
それはサンマの開きを作っている工場。そこでは片っぱしからハラワタを取り除いて捨てているのだ。工場の中にはハラワタの山、山、山。
それを思うと、ただちに小型トラックを借りて、ただちに駆けつけて、ただちにもらって帰りたくなる。

こんなエッセえーだ。東海林さだおの漫画は見たことがあるが、エッセイは初めてのように思う。近年のサンマの不漁をおもしろくもせつなく書いている所はさすがだ。
私は今年のサンマは2回ほど、4匹食べた。ハラワタ以外はさっぱりしすぎていたように思う。