’21.12.29
学生時代に何を学んだか、それが今までの人生にどう影響しているか、考えても思いつかない。学ぶことは死ぬまですること、生涯学習という言葉があるくらいだからそういう事だろう。
この世の中いくら年を取っても、分からないことだらけ。教えてもらっても本当に理解できることは少ない。社会の動きも、人間が作り上げた社会なのに理解できないことばかり。多少理解を助ける記事が日経の「College edge」のページに載っていたのでパクる。阪大 猪木武徳氏の著書から。

複雑で予測できない世界、経済社会の変化にどう向き合えばいいのか、今何が重要なのかが問われています。
論理的には、コロナの危機や気候変動は人類共通の試練ですから結束するはずですが、むしろ分断が進んでいる。社会や国家間の利害が一致しないのです。

民主主義、市場メカニズム、技術革新にはいずれも個々人をバラバラにする力が働きやすい。その結果、社会の公共性への感覚、他者や未来への意識が希薄になってしまう。地域社会が崩れ、一緒に何かをしようという精神も弱まってくる。

世の中で何が起こっているか、現状を少しでも正確にとらえ、どう対処すればよいか、自己確認が求められています。何が重要な価値なのかを自省せざるを得ない。
その際、素手で、とはいきませんから、経済学、歴史、統計学などの学問が助けになるのです。
書物で学ぶだけでなく自分で確かめる。これはおかしい、なぜだろうと問うことがまず必要になる。社会科学も輸入学問の性格が強かったので、学びを重視し問うことがおそろかになった事情がある。
権威を有難がり、通説で間に合わせてしまう。自分で探求しようという姿勢があまり重視されてこなかった。

自らの関心で問題を見つけて取り組むのは一筋縄ではいきません。仮に、自然科学的な方法で問題の8割が説明できたとしても、2割の不確かな部分は残る。しかし現実は待ってくれません。完全に分からない状態でも、決断しなければならないことは多い。
その時、頼りになるのは価値についても人文知、つまり人間にとって結局何が重要なのかについての知恵です。まず人間の研究があって、それから社会研究に進むのが順序でしょう。

もうこれしかない、という断言口調には要注意ですね。経済社会の動きを説明する理論を見つけても、そのまま現実の問題に適用することはできない。「抜本的改革」という掛け声は余り楽観的、短絡的です。
我々の知識が不完全であることを考えると、一挙解決ということはめったにありません。
まずやってみて、必ず結果を評価する。利益とコストを比べて、修正と改定を繰り返す。粘り強く、試行錯誤によって、社会の問題を「何とか切り抜ける」覚悟が必要なのです。

まあ、氏の著書の内容を要約すると以上のようなことだ。この著書の解説に、「今の社会問題を解くための最先端の技術を訓練するだけでなく、人文知もしっかり学ぶべきだ」と説いている。
「大学は変わるものだけでなく、昔から変わらないもの、つまり、人間についても教える。さもないと経済社会は簡単に制御可能なのだと、安易に思い込んでしまう」

そもそも「人文知」とは何ぞや。「人間は分からないもの」その人間が作った社会は、一体だれが分かるのだろう、と思ってしまう。簡単に制御できない社会を、どうやって、だれが動かしているのか疑問がわく。最近新聞を読んでいて、つくづくその感を強くするこの頃だ。