’22.1.6
コロナもデルタ株からオミクロン株に変異して、終息しかかったかに見えたがまた感染者が新年と共に倍々ゲームのように増えている。
デルタ株の場合は肺で増殖して重症化することが多かったが、オミクロン株は鼻や喉で増殖して重症化に余りなりにくいという発表があったりする。変異するたびにコロナに罹っても熱や咳くらいで治まれば、風邪の一種に数えられる。そんな方向に変異が進むことを願っている。

コロナの予防に三密を避けることがいわれ、人との接触がはばかられるようになった。そこでもてはやされるようになったのがデジタル社会だ。コロナの蔓延で、日本のデジタル化の遅れが顕在化した。今の日本は明けても暮れてもデジタル化の話題だ。
政府はデジタル庁まで作って官民システムのデジタル化の推進の旗振りをやるが、案の定デジタルに関わる人員の不足がネックとなる。その人たちの養成から始めなくてはならないので、本格的なデジタル社会が実現するのはいつになることか。

人との接触を避けてコミュニケーションを取る方法が盛んになる。その一つにZOOMなるツールが流行っている。いまやこのZOOMがメタバースなるものに置き換わるのではないかと言われ始めた。
人と人とがつながっている、そのつながりが仮想であっても現実であってもコミュニケーションが成り立てば同じではないか。そんな疑問が湧いてくる。しかし圧倒的に実際に会って、会話をすることが支持される。
そんな調査があるかどうか知らないが、年代によってその支持のされ方が違うように思う。Z世代と言われる若者は現実も仮想も大した違いを感じないのではないだろうか。

「まだオミクロン株が大暴れしてないので、その前に久しぶりに会って一杯やろう」という誘いが昔の会社仲間からあった。一年以上間が空いているので、会って積もる話でもしたい。が、何だか気が進まない。
コロナのお陰で出不精になったこともあるが、ZOOMを使っての一杯やりながらの会話に慣れてくると、それで結構コミュニケーションが取れているような気がする。会ってまで飲まなくても、ビデオ越しに飲みながら話をすればいいのではないかと思う。

日本人は空間を作って、お互いを敬う気持ちで挨拶をする。欧米人はどちらかというとはハグをして挨拶をする。ゴルフを見ていると、ラウンドを終えてグリーン上でハグをして相手を称える。日本人がやると何だか作ったように不自然に思える。かといって挨拶ではなお変だろう。握手がいい。
日本人の作法は空間を重んじるから仮想でもいいと思うのだが、古来からの伝統作法を見る限りそうでもなさそうだ。

コミュニケーションを取るのにもいろいろな作法があってもいい。今やネットで、仮想空間でコミュニケーションを取るのも一つの方法だろう。だが、自分の代わりのアバターを使ってコミュニケーションをするのにはまだ少し時間がかかりそうだが。