’22.1.22
顔専門トレーニングジムの今日の新聞広告。東大名誉教授原島 博氏の記事を広告にしていた。広告らしからぬ文章だったのでパクる。

30代以上の人は実感があると思います。パソコンが普及し、ポケベルや携帯電話、そしてスマートフォンへ進化するなかで、私たちはネット上で仮名を使ってコニュニケーションをするようになりました。
自分をさまざまなアイコンで表示することにも慣れ、昨今では自分の顔すら画像処理して変えるようになってきています。私はこうした名前や素顔を隠すことを「匿顔」と名付けましたが、そこにやってきたのがコロナ禍によるマスク生活です。
今やリアルに人と会うときも顔の大部分を隠すことがマナー。そのような状況のもと、「自分の顔の表情をあまり意識しなくなった」と感じている人も多いのではないでしょうか。

私たちの表情の歴史は、人間の進化の歴史です。二足歩行になって、私たちは両手が自由になりました。他の動物のように顔で敵を攻撃したり、直接顔を食べ物に近づけたりする必要がなくなったのです。
結果、顔が柔らかくなり、表情筋が自由に動かせるようになりました。そして集団生活を通して、互いに意識を伝え合い、集団としての一体感を育むように表情を発達させてきたのです。
ただ、顔の表情をどう見せるかは、必ずしも世界共通ではありません。その例がヒーロー像です。お気づきでしょうか。映画やドラマに出てくる欧米の匿名ヒーローは目元を隠して、口元は見せています。
これに対して日本の、特に昔の匿名ヒーローは口元を隠して、目元は見せていました。これは欧米では目もとより口もとの表情による意思疎通が重視され、日本では口もとより目もとの表情で多くを伝達してきたことを物語っています。

私たちは長い歳月をかけて表情によるコミュニケーションを発達させてきました。それが今、ネット中心の生活とマスクの常用によって、あらためて大切さが問われています。
例えば、単なる情報のやりとりならメールなどの文字伝達などで十分です。ある程度の意思や感情も同じようにSNSを始めとするネット経由で伝えられます。でも、相手がニコッとわらったときに、自分もつられてニコッと笑う。そうして共感し合う。理解し合う。
互いに一体感を持つといったことは、表情によるコミュニケーションで初めて可能になります。この一体感は、ともにある人と人の「絆」と言い換えることができるかもしれません。

では、今の匿顔の生活が続くと、表情によるコミュニケーションはすべて失われてしまうのでしょうか。一つユニークな実験があります。私が理事を務める日本顔学会で、狂言師の協力のもとに、仮面をつけて「ワッハッハ」と笑う演技を二通りの仕方でしてもらいました。
仮面の下では笑わない演技と、笑った演技です。観客は見事に仮面に隠れた表情の違いを見破りました。このように私たちの表情を伝える能力、それを読み取る能力はどちらも決して低くはありません。
でも、これはある程度、表情コミュニケーションに慣れた大人だからできることかもしれません。大人でもマスクをつけて初めてあった人、あるいはオンラインで会う人の表情を読み取ることは困難です。
ましてや生まれたときからスマートフォンがあり、さらにはマスク生活の中で育つ子どもたちが同じような能力を身につけられるかどうかは、今後の研究を待たなければなりません。

表情は私たち人間が獲得してきた大切なコミュニケーション能力です。ネットの時代になり、マスク生活が続いたとしても、自分の表情を意識し、豊かな表情を心がけることがとても大切です。人が人たる所以は、互いに心から理解し合い、そこから生まれる一体感をもって助け合って生きること。これは表情によるコニュニケーションでしか成し得ないことなのですから。

なるほどと納得する広告でした。