’22.1.26
最近よく見聞きする言葉に分断がある。人間社会が分断しているという。特に米国でトランプが大統領になってからよく聞くようになった。もともと米国は分断された国だったようだが、トランプが大統領になってから国の政策が一層米国民の分断をあおったようだ。
今やこの分断は世界をも分断してしまったが、地球上の人間社会の平面を分断しているイメージがする。一方最近私がイメージするのは、人間社会を上下に分断するいわば2階建ての世界を想像させる人間社会があるように思うのだ。
1階で生活する人たちは、スポーツをしたり旅行したり、趣味に娯楽に時間を過ごすごく普通の営みだが、2階では明日をも知れぬ壮絶な争いや、生き馬の目を抜くような切った張ったの経済活動に汗を流し活動する世界だ。最近そんなイメージを持つことが多い。そして同じ世界の人間社会なのに1階と2階の繋がりがよくわからないのだ。

私のようなごく普通の人間は生まれてこの方、どう楽しく、どうお金を稼いで、どう遊ぼうかと思いながら年を重ねてきた。趣味は何をしよう、それこそ多少の変化はあるものののんびりとした生活を送る。これが1階の生活のイメージだ。
2階はというと、国を動かすような人間がどうかじ取りをするか、どう覇権をとるか。民主主義だ専制主義だと武器をちらつかせながらつばぜり合いをしている。資本主義だ共産主義だとおカネのやり取りに命を懸けて動き回るようなような剣呑な毎日を送る人達が蠢いている世界。
この1階と2階の世界のイメージは、映画「ターミネータ」でリンダ・ハミルトンが演じるサラ・コナーが、核兵器で世界が終末を迎えることも知らない母と子供たちが、公園で楽しそうに遊んでいるところをぼんやりと眺めて見えるまさにそんな光景だ。

この2階にいる人間とても1階の人間と違いはないのだが、何らかの手段で選ばれた人間が集まって同盟を組んだりしながら活動している世界なのだ。
いや、もっと言えばこの2階にいる人間たちは1階で身の回りのことばかりに気を取られている人間たちに選ばれた者たちなのだ。してみれば、2階にいる人間がどんな人間であれ1階の人間にその言動は責任があることになる。しかし残念ながら1階の人間にはその意識があまりない。このことこそが大問題ではないのか。
私の感覚では、1階の人達は2階の世界の動きが大いに気になるが所詮どうしようもないと諦めて、毎日を過ごしている感じだ。

2階で活躍している様子を覗いてみると、政治の世界、経済の世界、文化芸術の世界、スポーツの世界、宗教の世界等々の集まりで活動している。はては戦争なんぞ始めて喧嘩している世界もある。
2階の輩たちだけで騒いでいればいいものを、時々1階に投網を投げて2階に引き上げ騒ぎに巻き込むのは誠に迷惑な話だ。2階の目立った輩が扇動しているかと思えば、その裏に暗躍して陰謀をたくらむ輩もいるらしい。
どうか1階で静かに生活している人たちを巻き込まないで、2階だけでエネルギーを消耗して欲しいと思う。

1階と2階のイメージは人によって受け取り方が違うと思う。半年たった本の広告に日経新聞出版の「中二階の原理」という本の広告が出ていた。読んではいないが広告にはこんなことが書いてある。2階は、社会や組織を動かす「基本原理」、1階は、その原理のもとで人々は生きる「現場」。そんなとらえ方もある。そして、この本の主題は広告には次のようなことが書いてあった。
日本は、かな文字、人本主義、天皇制などの「中二階」を挿入することで、基本原理と現場のねじれ感覚を中和してきた。しなやかな日本を作り出した「中二階」のなぞを解明。
ここでの1階と2階は、私のイメージとは違うが発想にきょうみがある。読んでみたい本だと思う。