’22.3.30
今回のロシアのウクライナ侵攻がなぜ起きたのか、色々な解説がなされているが浅学非才な私にはよくわからない。
ただ言えることは、1991年12月にソ連が崩壊し40年以上続いた米ソ冷戦が終結してから30年過ぎた今、ソ連解体がいまだ終わってない新たな冷戦が始まったという事だろう。
今日の朝刊にキエフ大の博士でハーバード大のセルヒ・プロキア教授の記事が出ていた。「なぜ」の一つの見方だろうが、歴史を踏まえ分かりやすいのでパクった。

ソ連の崩壊で瀕死の帝国にとどめを差したのはロシアではなく、旧ソ連の第2の規模を持つ共和国ウクライナだ。91年12月実施の国民投票では、投票したウクライナ国民の90%以上が独立に賛成を投じる。これでソ連の運命は尽きた。
ロシアはウクライナの助けなしにソビエト帝国を維持する重荷を引き受ける気はなかった。ウクライナ側にもロシア帝国の一部にとどまることに何の関心もなかった。

ロシアとウクライナは、冷戦中こそ超大国に打ち勝つべく力を合わせたが、冷戦終結とともに両国の共通の利益も終わりを告げる。ロシアのエリツイン大統領はソ連解体に抵抗しないと決めたものの、ソ連なきあとの空隙で旧ソ連の共和国に自国のことを好きに決めさせる気は毛頭なかった。
91年12月発足の独立国家共同体には地域でのロシアの主導的役割を確保する意図があったが、ウクライナの頑強な抵抗によりそうはならなかった。「近い外国」を意のままにするというロシアの思惑から全く外れた結末となった。

米国はウクライナ国民投票の結果を知ると、旧ソ連の共和国への支持へと転換する。ロシアはソ連崩壊後に独立した国々について限定的な主権を想定していたが、米国は完全な主権を後押しし、ロシアの影響圏となることを認めなかった。
世界の他地域では終わりを告げた米ソ間の冷戦は、旧ソ連の地域ではすぐには終結せず、2つの形の主権、2つの権力中枢がつばぜり合いを演じたのである。この地域で米ロが最後に協力したのは94年だった。
当時ウクライナは旧ソ連時代の核兵器をそのまま保有していたが、米ロはこれを放棄するようウクライナ政府に圧力をかけた。同年にロシア、米国、英国などが署名したブタペスト覚書では、核兵器の放棄を条件に、独立と主権と既存の国境の尊重を確約している。
ウクライナでは核兵器の放棄が賢明なのか多くの人が疑義を呈したが、米国の援助など見返りに得られる利益は極めて大きかった。

2004年の民主化運動「オレンジ革命」では、大統領選で与党陣営の親ロシア派候補の不正に対し首都キエフを中心に大規模な抗議運動が展開された。これを契機に欧州連合(EU)加盟がウクライナの政治課題となる。
米国は民主化を支持したが、ロシアは自国の勢力圏への米国の敵対的な侵入と受け取った。ロシアにとってウクライナの欧米への傾斜は、裏庭同然の地域で自国の権益を脅かす行為にほかならなかった。
14年初めには、親ロシア派のヤヌコビッチ大統領がEUとの連合協定に署名すると公約しながら、ロシアから圧力をかけられて撤回したことに対し、大規模な反政府デモが起きる。これはマイダン革命(尊厳の革命)と呼ばれた。
するとプーチン大統領はロシア軍をウクライナ領クリミア半島に送り込み併合するという挙に出る。その数か月後には、東部の工業地帯であるドンバス地方でも新たな戦争を仕掛けた。

ロシアの動機は何なのか。第1はウクライナの欧米への傾斜を阻止することだ。クリミア半島を併合しなかったらNATO軍のミサイル基地になっていたとプーチン氏は主張する。だが現実的には、ウクライナのNATO加盟よりもEU加盟の方が問題だった。そもそもNATOはウクライナの加盟を認める気はなく、加盟申請も保留している。
第2の動機は、ウクライナの民主体制を弱体化させ信用を失墜させることだ。同国の民主政治の成功は、好ましくないシグナルをロシア国民にj送ることになる。隣国が民主化に成功するならロシアにでもできるということになりかねない。
14年のドンバス地方侵攻ではプーチン氏は目的を達せられなかった。むしろ逆にウクライナは結束し、以前にも増して欧米志向を強めた。NATO加盟を望むウクライナ国民の数は3倍に増えた。結束して意志強固にjなったウクライナは、ロシアの支配者にとって耐えがたい存在になった。

プーチン氏は再び攻勢に出た。これが今回の全面戦争だ。プーチン氏はまたしてもNATOの東方拡大の懸念を口実にし、NATOはウクライナの加盟に乗り気でないことを改めて示した。だがプーチン氏の発言からは、彼の望む世界にウクライナの居場所のないことは一目瞭然だ。ロシア人とウクライナ人は同一民族だと何度も主張している。
今回の戦争は死者数でも人々に与えた苦しみもドンバス戦争をはるかに上回る。ウクライナは、西側の大方の人が期待してなかったような反撃を見せ、プーチン氏の電撃作戦の出ばなをくじいた。だがその代償はウクライナにとっても世界にとっても深刻だ。
一つ確実に言えるのは欧州と世界の歴史で、89年の東欧革命とともに始まった時代は終わったことだ。今や新たな冷戦が始まった。この事実は、ドイツの国防費大幅増大やポーランド軍の大幅増強からも明らかだ。

冷戦の中心はまたしても東欧だ。ただその境界線は引き直されており、新しい東欧を形成するのは旧ソ連の西部と南縁部に位置する共和国だ。前回の冷戦が始まった時と同じく、今回の冷戦の始まりもロシア政府と中国政府を急接近させた。かつての中ソ友好同盟の再現のようだが、パートナー関係は逆転し今回は中国の方が強い立場にいる。
ウクライナの重要な貿易相手である中央アジア以西にまで経済的・政治的影響力を拡大している中国は、現時点ではこの地域で直接ロシアとことを構える行動は控えている。
だが停滞するロシア経済が制裁でさらに打撃を受けているのに対し、成長する中国経済を見れば、最終的な勝者がどちらなのか明らかだ。

ロシアのウクライナ侵攻は、91年のソ連崩壊から始まった物語の続きだ。ソ連の正式解体から30年が過ぎた今になって、かつてのユーゴスラビアのシナリオが演じられている。核兵器こそ使われてないが、原子力施設への攻撃は行われている。
冷戦最後の瞬間の再演をもって、冷戦後の世界秩序には実質的に終止符が打たれた。新冷戦の秩序がどんなものになるのかは、まだだれにも分からない。

こんな記事だが、歴史を踏まえてロシア侵攻の背景が少しわかるような気がする。コロナといいロシアのウクライナ侵攻という第二次世界大戦後の本格的な戦争は、歴史に刻まれる出来事だ。
まさにそんな世界的出来事に、片足を棺桶に突っ込んだ人間が出くわすとは。若いこれからの人は、また新しい歴史の中で生きていかなければならないとは。人間の精神は全く進歩がないことを嘆くしかないか。