’22.4.30
最近は物忘れがひどくなって、あれをしようと思ってちょっと別のことをしたり考えたりすると、やろうと思ったことを忘れてしまう。その対策として最近していることは、やろうと思ったら思ったときその準備をしてから別のことをしても、やろうとしていたことを思い出すのでそうしている。

究極の自由人になってから、やることもなく無為な毎日を過ごすことが多い。何もすることがない日でも、新聞を読むことは必ずできるので、それが唯一の日課でもあり楽しみだ。
学ぶこともしなくなったリタイア後の生活で、最近思うことは新聞を読むことが唯一自分の学びの時間だと感じでいる。その新聞も、内容の3割くらいが理解できればいいほうだろう。新聞を読んで、少しづつ人生の最後の学びをしているこの頃だ。

読めない漢字はスマホの漢字辞書を極力使って調べるようにしている。書かれている言葉(ターム)もググって調べることができる。話しかけると文字にして検索してくれるので重宝する。
新聞を読みながら、いろいろ教えられるし考えることができる。考えたことを極力メモに書いて、その時々の記録に残している。別にそれをどうこうするわけでもないが、自分の勉強ノートのようなものだ。恥ずかしいことだが、今日のメモにはどんな思いを書いているか書いてみよう。

・最近クレマチスに入れ込んでいる、何もしなくてつまらないより余ほどいいではないか。
・年を取ると思考の底が浅くなる、これは何でも分かったように錯覚する原因。若者は思考の底が深い、迷うことが多いことに繋がる。考えることの違いがここにあるのではないか。
・このところのロシアの侵攻記事を読んで、つくづく高校時代歴史の勉強をしておけばよかったと残念に思う。
・年を取ることの効用はなにか、人間を知る学びを目的として生きていくといい。
・新聞を読む、新聞でファクトを知ることはいい。解説記事は書いてる記者の個人的意見で、自分の意見との相違を見いだすことも勉強になる。
・いつまでも世の中に貢献するとは。モノを創ることか、人文知はどうか。わからん!
・ミルクココアは湯飲みの茶渋を取ってくれることが分かった。ココアを飲むと舌の上がザラザラする。

まあこんな、屁の役にも立たない戯言ばかりだ。