’22.5.2
今日の日経朝刊のコラム「核心」に、論説フェロー芹川洋一氏の記事が載っている。「ウクライナ危機から学ぶ」というタイトルだが、前に上げた「ウクライナの教訓1」と重複するような内容だ。
前回は3つの教訓を上げていたが、今回は4つでその内の2つは前のと同じ教訓だ。教えられることは多いほどいいと思いパクった。

国際関係をとらえるうえで、2つの流れがあると国際政治学の本には書いてある。国と国との関係は力と力のぶっつかりあいで決まっていくとみるリアリズム。
それに国と国は協調できると考えるリベラリズムだ。現実主義と理想主義と言い換えてもよい。リベラリズムの立場では、経済をはじめとして国と国とのつながりが深まれば平和が訪れるとみる。そうした相互依存関係が深まったとしても戦争が起こると判断するのがリアリズムだ。
ロシアのウクライナ侵攻を見て、願望も込めてリベラリズムに傾いていた自らも不明を恥じるしかない。相互依存関係の深まりで争いがなくなるというのは「大いなる幻想」だった。やはり国際社会は冷徹なリアリズムの世界だ。

そこから出てくる最初の学びは、当たり前だが、自分の国は自分で守らなければならないというものだ。

2番目の学びは、ウクライナでもわかったのは、同盟というかどうかは別にして、助け合う国が必要という事である。

3番目はそのうえでプーチン大統領の核の脅しで思い知ったのは、核兵器を持った国が周辺にある場合、核で抑止をきかせるしかないという現実だ。日本が米国の核の傘の中で守られているのなら、いつも核の傘の点検をすることが大事だ。(私がいまごろ知った日本政府の核に対するスタンスは後で紹介する)

4番目の学びもある。情報戦・宣伝戦で負けないことだ。今回、軍事だけでなく情報をめぐる「ハイブリット戦」の大事さが改めてわかった。

核に対する日本のスタンスで、今も政府が引きついている政策を紹介する。
民主党政権下の2010年3月17日、衆院外務委員会での岡田克也外相の答弁。
「核の一時的寄港を求めないと日本の安全が守れない事態が発生すれば、ときの政権が命運をかけて決断をし、国民に説明する」
自民党が政権復帰した後の14年2月14日、衆院予算委員会での岡田氏と岸田文雄外相とのやりとり。
岡田氏「(私の答弁は)非核三原則を守ることを原則にしつつ、緊急時において内閣の判断で例外を認めるという答弁だが、現政権もこの方針を引き継いでいるか」
岸田外相「安倍内閣としても引き継いでいる」
3月7日の参院予算委員会でも、岸田首相は自らの内閣でも継承すると言明した。
これは有事には「持ち込ませず」にこだわらない「非核2.5原則」といえる。岡田答弁で与野党合意ができているのなら、米国の核の傘が雨漏りしないのかどうかを点検、破れ傘でないことを見せることも抑止になる。

こんな記事だが、5月9日のロシア戦勝記念日にプーチン大統領は「ウクライナ戦争」を宣言するかもしれないという。どういう決着を見るのか、もう当事者同士では制御不能な事態になっているのが恐ろしい。