’22.6.7
子どものころ、学生時代、サラリーマン時代に付き合った友達は、年を取っても「友だち」という意識がある。年を取ってサラリーマンをやめ、地域に引きこもって付き合いを始めた人は先程の「友だち」とは違う。「知り合い」と言った方がぴったりくる感じだ。

ところが私には地域に係るようになって付き合うようになった「知り合い」が、「友だち」のような感覚で付き合える人ができた。誠にありがたいと思っている。
年も同じで酒も一緒に飲む、地域活動も同じようなことをしている。同じ地域活動をしているから、知り合ったともいえる。我が家にも何回か来て酒を酌み交わしたし、同じような愚痴をこぼしてなぐさめあっている。
そんな友達が肺がんになった。

昨年の秋口から体がだるい、疲れるといっていたが冬前に肺がんだと分かった。それからが病状の進行が早くって、今年の4月になって若い医者から余命2か月だと告げられ今日に至っている。
最初のうちは本人から電話があって、「以前もらった酒があるから取りに来い」だとか、「新玉ねぎをもらったから取りに来い」という。なんのことはない、私に会いたいからだと奥方が教えてくれた。
そのうち奥方が電話してきて、会いたがってるが来れるかという。そんな時は、咲いたばかりのクレマチスをもって飛んでいく。

つい先日には、奥方は明日をも知れぬと思ったのだろうか来てくれという。後から分かったのだが、訪問診療の医者から、それらしきことを言われたようだった。夕飯の途中だったがすっ飛んでいった。幸いまだ話せる状態だった。奥方も「ほんとによくもっている」と帰りがけに話しかけてきた。
「万が一の時があったら、私は呼ばないで欲しい。来るのが辛いから。落ち着いてからゆっくり会いに来ます」と奥方に告げた。「分かりました」と言ってくれたが、どう思ったかは分からない。私はそれでいいと思う。

寝たきりで目も閉じたままだ。「俺が見えるか」と聞くと少し目を開けてみている。「わかる」という。手を握ったり、額に手をやったりするが、私は掛ける言葉が思い浮かばない。しょうもない話をする。
家内の時の肺がんの症状と違って、息苦しさもないようだし咳もでてない。本人も苦しくも痛くもないという。
講道館3段の柔道の猛者だ。奥方を講道館に連れて行って、稽古の姿を見せたりもしたらしい。まだ付き合っていたころだろう。そんなことを話すると、思い出したように返事をする。話が続かない。
何を話したらいいのか。

学生時代の連中とZoomで月一の飲み会兼ミーティングをやっている。中にそのころ親しくしていたクリスチャンの友達がいる。Zoomが終わった後、そのまま接続してもらって、そんな死を前にした人に何を話したらいいか相談した。
結構敬虔なクリスチャンなので、気の利いた話が聞けるかと思ったが期待外れだった。それ程難しいという事か。残念だがそんなに長くないだろうが、その時の知らせがあったらどうしよう・・・・。
いや、連絡しないでくれと言ったので、その時には連絡は来ないだろう。いずれわかるだろうから、その時はゆっくり会おう。まだまだ、がんばれ。