’22.9.9
コロナも3年近くなると話題にするのも疲れる。円安、世界的なインフレ、安倍元首相の国葬、旧統一教会、エリザベス英国王の死去、新聞の見出しも事欠かない。そして何よりもロシアのウクライナ侵攻、2月末から始まって半年以上経つがいよいよ膠着状態に入った。
ドイツがポーランドに侵攻して第二次世界大戦が始まったときとは世界情勢も違って、いきなり第三次世界大戦になるようなことはない。NATOが自制しているからだ。

なぜ今、ロシアはウクライナに侵攻するのか。昨日のプライムニュースのテレビで、プーチンに近いロシアのジャーナリストがいろいろ質問されていたが、同時通訳が下手なのかしゃべりが早くって通訳が難しいのか聞く方が疲れてよく分からなかった。
ゴルビーの愛称で親しまれたソ連のゴルバチョフ元大統領が死んだ。プーチンはこの大統領の葬儀には参列しなかった。今日の朝刊に、ゴルバチョフとプーチンの違いを比較しながら書いていた。英国フィナンシャルタイムスのコメンテイターの記事の翻訳記事だ。興味があったのでパクってみた。

「国の偉大さ」について
プーチンが考える国家の偉大さとは、広い領土と軍事力、そして隣国を恐怖に陥れたり従属させたりする力を意味する。プーチンはロシアが大国であるのは当然の権利だと信じて疑わない。
ウクライナの独立はロシアからの「強奪」だと考えており、大国としての力と権威の再構築には失われた領土の奪還が不可欠と考えている。こうした妄想が積もり積もった結果が、ウクライナ侵攻という悲劇的な決断をもたらした。

ゴルバチョフにとって国家の偉大さとは、一般国民の尊厳を守れるかに重点がおかれた。ゴルバチョフは市民に毎日の生活必需品を行き渡らせることのできなかったソ連政府の無能ぶりを指摘した。
「人工衛星『スプートニク』をいくつも打ち上げ宇宙飛行をなし遂げ、高度な防衛システムを作り出す国なのに、歯磨き粉や粉せっけんなど基本的な生活必需品が手に入らない状況を想定してほしい。そんな政府で働くのは信じがたく屈辱的だった」とインタビューで語っている。
ゴルバチョフの改革は限定的ではあったが、一般的ロシア国民がそうした品不足に耐える必要がなくなったのはゴルバチョフの経済改革に負うところが大きい。きちんと機能していたソ連経済を破壊させた人物と彼を批判する向きは、ゴルバチョフのおかげで日常生活が改善したことを覚えておくべきだ。

「人間の尊厳」について
ゴルバチョフの人間の尊厳という概念は、表現の自由にも及んだ。教育を受けた人間が政府による嘘やスローガン、検閲でがんじがらめにされた世界で生きていかなければならないのを「信じがたく屈辱的」だとして、これを変えた。
報道やクリエーティブ関連の産業を自由化し、反体制派を釈放し、適切な歴史研究の再開を認めた。

だがプーチンはソ連時代のような弾圧を復活させた。最後のメディアを潰し(注:モスクワの地区裁判所は9月5日、21年にノーベル平和賞を受賞したドミトリー・ムラトフ氏が編集長を務める新聞の発行免許を取り消した)、反体制派を投獄し、ロシアが「戦争」をしているという表現を違法とした。

米ペンシルベニア大による21年のある国際的な調査によると、最も尊敬されている国の上位3位はカナダ、日本、ドイツだった。3か国はいずれも政府の汚職が少なく、人権が尊重され、社会的公正さなどの基準で高評価を得た。
いずれもプーチンが率いるロシアではほぼ評価されないが、人間の尊厳を重視する人々や政府には真剣に受け止められている価値観だ。
プーチンがゴルバチョフの葬儀に参列しなかったのは、彼が広めたこうした価値への侮辱を暗に示した。だが弔意を示すため数千人のロシア市民が列をないしたのは、プーチンへの静かな反発を表している。

まとめると以上のような記事だが、偉大な国に日本が上がっているのは意外だ。トランプのいう「MAGA」は行き過ぎたナショナリズムだろう。「偉大な国家」は目指してほしいが、「覇権国家」は戦争を起こしてしまう恐れがあるので勘弁してほしいと思う。それにしても国を治めるというのは大変なことだとつくづく思う。そんなリーダーになりたいと思うのはなぜだろう。人間もよくわからなくなる。
覇権国家のリーダーは民主化を恐れ、民主国家な国民を恐れる。ゴルバチョフもプーチンも旧ソ連、ロシアのリーダーとしての国の事情に振り回されての所業なのだろう。