’22.12.3
年を取ってからの「いきがい」に拘っている今の私には、容易に探し出せないでいる目標だ。私にはいささか遅きに失してはいるが、「よりどころ」となんだか同じ響きにきこえる。
今の日本経済を元気にするには「産業構造の変化」が必要だと言われるが、じゃ具体的にどうすればいいのかがぴんと来ない。そんななかでちょっと前の日経のエコノミックトレンドというコラムに、柳川範之東大教授の記事がでていた。働き手の側から立って見た、今求められている変化に対する対処としては参考になる。

人々が、移りたいと思う企業に転職しやすくなる、いわゆる企業間の「労働移動の円滑化」が、政策的な課題になりつつある。経済構造や産業構造の変化に伴って、人々が活躍できる場所や機会が変化している。
大きな変化のポイントは、人が働けるというよりも、企業が人を支え切れる存在ではなくなったという現実である。そうだとすれば、社会全体で考える命題は、一つの企業に頼ることなく人々が安心して働け、生活できる環境をいかに用意するか。そのための社会全体の仕組みを、どう構築していくかが重要だ。

そこで考えるポイントは少なくとも3つある。第一は、政策課題にもなっているように、人々のスキルアップ(最近はリスキリングともいうが)、能力開発の重要性だ。

第二の点は、働き場所に関するリスク分散の必要性だ。リスクのある資産は分散投資すべしというのは、金融資産については当たり前の原則である。しかし働き場所という点に関しては、仮のその企業の将来性に不安があっても、そこに居続けて注力することが当たり前とされてきた。
しかし今やオンラインの普及もあり、兼業や副業という選択肢が生じてきた。そうであれば、複数の働き場所、複数の収入先を確保し、リスク分散を図るというのは、ある意味自然なことだろう。(昔人間の私には、そんなことをすれば仕事に不熱心だ、仕事の信頼がおけないとみなされて、できることではないが)

第三のより重要なポイントは、一つの企業に居続けるのが安泰でなくなった社会において、人々の「よりどころ」や「コミュニティー」をどう確保していくかという問題だ。多くの労働者にとって、企業とは単に、給料という生活の糧を得るためだけの場所ではない。そこは自分にとっての「よりどころ」であり、帰属するコミュニティーである。
ここでコミュニティーと呼んでいるのは、人と人とのつながりや緩やかの相互扶助などが得られるとともに、精神的なよりどころとなる共同体のことを指す。
欧米諸国であれば、教会がコミュニティーとして、大きな役割を果たしている場合が多い。あるいは地域コミュニティーが機能していたり、労働組合がその役割を果たしていたりする国もある。つまり、会社以外にコミュニティーとしてのよりどころが存在する。そのため、転職したり解雇されたりしても、属するコミュニティーに変化が起きるわけではない。

しかし日本の場合、会社は一つのムラであり、そこがコニュニティーとして機能してきた。そのため、倒産したり解雇されたりした場合には、帰属コミュニティーを失ってしまう。あるいは、コミュニティーから離れることを恐れて、転職をためらう事態も生じかねない。
そうならないために、日本が目指すべき方向は大きく分けると二つあろう。ひとつは、企業は働く場所に特化し、よりどころとしてのコミュニティーを別に形成していく方向性だ。地域内での結びつきを強化する、あるいはオンライン上での趣味のネットワークを形成するなどの方向性も考えられよう。
今後の地域経済にとっては、このような地域コミュニティーをどう形成していくかが大きなテーマとなる。あるいは、比較的若い世代においては、企業外の人的ネットワークを積極的に構築する方向性が重要になってくるかもしれない。

もう一つは、引き続き企業を核にコミュニティーを考える方向性だ。いままで、企業中心として活動する人が多かった日本ということを考えると、この方が現実的な選択肢だろう。ただし、企業が利益を得るための組織であり、場合によっては倒産のリスクにさらされることを考えれば、一つの組織だけが自分のすべてとなるのは、望ましいことではない。

そのため重要となるのは、リスク分散を図りつつ、多層的に帰属するコミュニティーを作っていくことだろう。たとえば、イノべーティブなことをやっている半面、それが組織存続のリスクにもなっている企業に帰属しながら、同時に、より安定性が高く相互扶助の意味合いも強い組織に帰属するというパターンである。それによって金銭的な利益を得つつ、安心のネットワークも得る方向性だ。

以上のような趣旨のコラムだが、言うは易だが現実問題はなかなか難しい気がする。日本の中でも「働き方改革」という言葉がはやっているが、社会人になりたての若者は変化していけるだろうが、中年から退職が見えてくる年齢のサラリーマンには厳しい社会にjなっている。
そして定年後の私のような人間の「よりどころ」、「いばしょ」も、100歳まで生きられる社会になっては大問題だ。「よりどころ」は、幾つになっても必要な場所と心得、探して回る努力が必要なようだ。