’22.12.7
ガチャというのは、お金を入れてレバーを引くとカプセル入りのおもちゃが出てくる子どもに人気のある例の機械のことだ。このガチャが、「親ガチャ」だとか「配属ガチャ」なんていう使われ方をしていることを、日経の「こころの健康学」という連載のコラムで初めて知った。
カプセルに入ったおもちゃは、自分の意志では外に出れないことからこんな使われ方をするのだろうと勝手に理解している。生まれた環境によって人生が左右されるという意味で使われている言葉だと解説にあった。

「時代ガチャ」、「地方ガチャ」、「職業ガチャ」なんていう使われ方をすると、「国ガチャ」、「才能ガチャ」、「肉体ガチャ」など自分の思い通りにならないことを考えるといろんなガチャが出てくる。
「こころの健康学」のコラムでは、自分の置かれた立場を「ガチャ」と決めつけてあきらめると動けなくなる。そうした決めつけから自由になれれば、自分らしい生き方ができるようになると教えている。難しいことではあるが。

あきらめずに、努力して、挑戦し続ける・・・地道なことだがこうすることによって道が開けた経験をこの年になってしたので、恥ずかしながらご紹介する。
十数年前、まだメタバースという言葉が今ほど言われてないころ、ひょんなことから「セカンドライフ」というソーシャルゲームにはまった。人間だとか動物だとかいろいろなモノを、プログラムを組んで操り人形のように動かすことに夢中になった。モノを作ったり動かすことがゲームの目的ではないのだが、それらを使ってただ遊ぶだけではもの足らず、自ら遊ぶモノを作るようになったのだ。いまから思えばよく作ったものだと一人感心しているのだが。
そんな経験をして80過ぎになった今また、メタバースなる言葉がはやり始めて興味の虫が騒ぎ始めた。

メタバースのプラットホームも数あるが、比較的簡単で金のかからない「Cluster」なるもので遊ぶことにした。興味はやはりモノつくり、簡単に飛び込めると高をくくっていたが物忘れと考える力がなくなっていることをすっかり忘れていた。
モノを動かす道具はプログラムを組むのでなくパラメータで組み立てるのだが、その道具たる「unity」なるものが皆目わからないのだ。お手本はネットに載っている事例を参考にするのだが、まったくのお手上げ状態だった。ここで「あきらめず」「努力して」「挑戦し続けた」結果、なんとか作りたいものがつくれるようになった。
どうしようもない「ガチャ」と諦めないで、挑戦してみることをつくづく感じた次第です。


「セカンドライフ」でも作った犬舎、またまたClusterでも作って楽しんでいる