’23.1.18
2023年も年が明けて18日、新聞を見ると今年は世界的に大きな出来事がありそうなことが書かれている。
2月になると、ロシアのウクライナ侵攻から一年が経過する。プーチィン大統領も予想すらしなかった戦争になってしまった。この決着がどうなるか、コロナの終息がなるか、インフレ社会が世界経済をどうするか、人口減少や地球環境破壊がどこまで食い止められるか、などなど考えるときりがない。

個人的にはそんな社会の喧騒を横目に、自分の居場所、生きがい、幸せを求めて彷徨する毎日の連続、そして朽ち果てていく身を想像する。そして柄にもなく「幸せとは何か」という新聞の見出しに目を凝らす。
日経「こころの健康学」からのパクリで、幸せについてかんがえてみる。

前向きに取り組もうとするこころの状態を「メンタル・ウェルビーイング」と呼んだりする。最近よく目にする「ウェルビーイング」は、肉体的、精神的、社会的に完全に満たされている状態をいう。まえにもこの「ラムの喫茶室」でも取り上げたことがあったが、最近の企業行動にこのウェルビーイングが必要だとあった。
しかし現実的に、心身ともに満たされ、人間関係でも満たされている状態にある人はそれほど多くない。企業調査では、社員の15%が精神疾患に使われる薬を飲んでいるという。一生のうち一度精神疾患にかかる人は70〜80%にのぼるという。身体的不調を抱えている人もかなりの数に上るのだろう。

ウェルビーイングに関して現状を考えると、肉体的、精神的、社会的に満たされているだけでは不十分で、心身の不調を抱えていても自分らしい生き方ができている状態と表現した方がよいように思う。その時に役に立つのが、自分が求めている夢を意識することだ。
ここが「幸せ」の肝だと思う。自分が追い求めている夢とは、一生同じものでなくていいと考えることだ。年齢、性別、生活環境によって、その時々の「夢」は変わっていいと思う。その時の追い求めている夢は、時間的な長短は考えず、ただひたすらにその夢に向かっていることだ。わき目をすると他の夢がいいように思えるかもしれないが、それは今の夢が叶ったらまた追い求めればいい。

「夢」は身の回りのつまらないと思うことが多い。そのことにも気づくことだ。親しい人とのたわいのない会話、ボランティア、芸術鑑賞、毎日の生活で手に入るものでいい。
幸せとはそんな中にある。ウクライナでの戦火を逃れて幸いにも日本に避難してこれた青年が、この当たり前の生活ほど幸せを感じることはないとつくづく語っていた。日常生活の喜びを体感することが、幸せを実感することのように思う。