’23.2.13
ウクライナ戦争の行方が分からない、ロシアが侵攻して間もなく一年、誰がこんな戦争を予想しただろうか。浅学非才な私でも、ロシアの文学と芸術が素晴らしい国だ位はちょっぴり知っている。そんな国がと今更ながら思ってしまう。
そんな思いを書いている分かりやすい記事が、日経の「文化時評」というコラムに載っていた。毛糠秀樹という方のコラムだ。副タイトルに「世界を魅了した文化の底力に、いちるの望みをつなげたい」とある。

「国家の中の国家」。1930年代に旧ソ連は密入国し、スターリン粛清を生き延びた日本人で21年前に死去した寺島儀蔵さんの手記に、こんな表現が何度も出てくる。「国家保安委員会」と呼ばれる情報機関KGBのことである。現在はFSB(ロシア連邦保安局)と改組した。
東西の冷戦期、旧ソ連では強権と専制で人々を圧する非情な組織が国の中枢に揺るぎなくそびえて統治の「かたち」を決め、政治、経済、外交を操っていた。その組織で育ったプーチン大統領による「特別軍事作戦」という名のウクライナ侵攻から、近く丸一年となる。

この間、私たちは目を背けたくなる残虐な映像に触れ、むごい報に接してきた。21世紀に起きたとは思えない数々の蛮行、手段を選ばす、時に人の尊厳さえ軽んずるKGB的な思考と行動様式の発露とも見える。
そもそも、この組織の誕生は社会主義革命にさかのぼる。帝政の圧迫から自由を求めて蜂起した末の産物だ。歴史の痛烈な皮肉と言わざるをえない。
1917年に十月革命で政権を奪ったレーニンは同年12月、早くも反革命的な策動やサボタージュを取り締まるため「全ロシア非常委員会」の設置を命じた。略称「チェーカー」と呼ばれ、令状なしでの容疑者の逮捕や投獄、処刑などの権限を縦横にふるった。多くの無実の人が犠牲となる「赤色テロル」の嵐が吹き荒れたわけである。
のちのスターリンによる大粛清にもつながる有無を言わさぬ弾圧のきっかけともいえる。後継組織のKGB本部があるモスクワ市内の一区画はかつて初代トップの像が立ち、その名から「ジェルジンスキー広場」と呼ばれた。
「我々は一度も、間違った逮捕はしたことがない」「事実の究明には興味がない」前述の寺島さんを調べた捜査官は、こう言い放ったという。
革命を防衛するための暫定的な部署だったはずが、独裁体制を維持するため手段を選ばぬ治安機関に変貌を遂げた。1世紀以上を経て、その体質はグロテスクな形で進化し、プーチン氏に受け継がれ。世界を振り回している。
「プーチン ロシアを乗っ取ったKGBたち」(英フィナンシャルタイムス特派員の著)は、幾多の謀略的手段で一国を絡めとったトップと取り巻き(シロヴィキ)の実像を赤裸々にルポしている。

プーチン氏は旧ソ連崩壊後、サンクトペテルブルグの副市長として、時に民主派の顔を装いつつ(月のプーチンともいう)、地元の暴力組織と組み石油輸出権限をKGBに誘導した。やがて、首都へ出たプーチン氏は前任の大統領エリツイン氏の忠実な僕として権力を蓄えた(太陽のプーチンともいう)。
ほどなくして、前政権下でのし上がった新興財閥(オルガルヒ)を検察も巻き込む脱法的な手管で駆逐して利権を奪い取り、メディアを締め上げていく。
イデオロギーの殻さえ投げ捨て、謀略的な手段と非合法的な実力行使で自らの国を”略奪”した後は、かつての勢力圏を取り戻さんと野望に向け躍起になっているように思える。国際社会はロシアの将来に光明を見出すことができるのだろうか。
「ロシア人は他の民族に対して偏見がなく非常に寛大でひとなつっこい」「おおらかで人種差別もなく親しみやすい」ーー。異国で筆舌に尽くしがたい労苦を味わった冒頭の寺島さんは、手記で何度も獄中や収容所で会ったロシアの庶民への共感を語る。そこには権勢の奪取へ牙をむく荒々しい姿はなく、他者へのやさしさだけがにじんでいる。

トルストイの描く人間愛、ドストエフスキーが「罪と罰」で強調した魂の底からの回心。母なる大地が生み、日本、いや世界を魅了した文化の底力に、いちるの望みをつなげたい。
帝政が動揺し、新時代が満ちる20世紀初頭、戯曲「桜の園」でチエーホフは大学生にこう語らせた。「人類は、この地上で達しうる限りの、最高の真実、最高の幸福をめざして進んでいる。僕はその最前列にいるんだ!」こんな言葉をトップの口から聞ける日は来るのだろうか。

以上のようなコラムだが、この戦争がどんな決着を見るのか想像もつかないが、その後のロシア、世界はどうなるのだろうか。
トルコ南部で起きた大地震、トルコやシリアで3万人以上の人がなくなっている。写真を見る限り、ロシアの侵攻をで崩壊した建物と何が違うか、方や自然災害、方や人間が起こした蛮行、何んとも空しい気持ちになるだけだ。