’23.5.16
ちょっと最近新聞の読み方が雑になった。もともと報道の記事はテレビで知ることが多いので、新聞では見出しを見る程度だ。解説記事だとか論説は、勉強のために時間をかけて読んでいた。それが最近は、かなり行を飛ばして読むことが多い。理解できる記事とそうでない記事があるが、理解するために読み直すことが無くなった。
やりたいことがあるためだ。メタバースのプラットホームで自分の世界を作って、それを眺めて悦になっているからだ。20年近く前にも経験したことだが、こういうモノつくりは好きだ。
最近は趣味で生きているんだから、こんな毎日を送るのも良しと自分を許している。かといって何をするでもないので、ただぼんやりその日その日を送るより、自分の好きなことをして自分なりに充実していればそれでいい。
ただパソコンで小さな字を見ながらの意作業だから、目には甚だよくない。それさえ心配なければいいじゃないかと自分に言い聞かせている。

ウクライナ戦争も始まって1年と3か月を経過した。とてつもなく莫大な浪費だろうが、それとても復興しなければならないと7か国のサミットで大きな議題になるらしい。
今回は日本が議長国になって、岸田首相のおひざ元の広島でやる。今週にも始まるが、そのサミットについて思っていたようなことが今朝の日経の「あすへの話題」で、サントリーの新浪社長が書いてあった。
いつものように私のつたない文章よりよほど読みやすいのでパクる。

各国首脳がG7サミットのため広島に集まる。各国のリーダーには、市街地に核兵器が投下され、無辜の市民の生命が無差別に失われるという人類史上最も悲惨な履歴の一つを刻んだこの町でサミットが開催されることの意味をかみしめて議論してもらいたい。
使えば取り返しのつかない事態になることが分かっていながら、人類は今なお核兵器を廃絶できずにいる。それどころか、ようやく進んだ核兵器削減に向けた取り決めについて履行を取りやめることを宣言する国も出ている。

21世紀に及んでもなお核の脅威が増している現状は、どれだけ文明が進歩しても人類の愚かさの根本は解消されてないことの証左と言っていいだろう。
地政学の時代が再来していると言われる。自国民の生命や財産を守るために、どの国も各国の思惑が渦巻くパワーポリティックスを勝ち抜かねばならない。生き馬の目を抜くようなしたたかさが求められるし、防衛力の強化も必要だろう。

だが、それでも、戦争は決して起こしてはならない。戦争を起こさないことは、政治が担うべき最も重大な課題だ。互い互いを欠かせないと思える信頼関係をどう結んでいくか。その先に、武器によらない本当の抑止力が生まれるはずだ。
「戦争」や「有事」と言う言葉が新聞に踊る今、被爆地に、明示的な核保有国の半数近くを含む主要国の首脳が集まる。まず、この事実自体が重い意味を持つ。これに加えて、リーダーたちが、世界に、広島の地に恥じない希望あるメッセージを発信することに期待したい。

とまあこんなコラムだが、子どもでも分かるようなことが国をバックにすると分からなくなってくるのをどの国の国民も不思議に思っていることだろう。