’23.8.30
浅学非才な私ではあるが、BRICSの名付け親である英国のエコノミストだったジム・オニール氏が意味したBRICSとは、今とはずい分違う印象を持つ。BRICSが言われ始めたころは、新興の発展途上国でこれからは世界を席巻する国の集団を言っていたように思う。
最近目にするBRICSの意味は、西欧主要国のG7に対抗する国々の集まりのように使われる。まさに世界の2極化の象徴のようだ。
最近のFINANCIAL TIMESの論評を読むと、どんな国の集まりなのかが紹介されている。いつものパクリだ。

ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカによるサミットが南アフリカで開催された。さらにサウジアラビア、UAE,エチオピア、イラン、アルジェリア、エジプトなど6か国が参加することになった。
会議に参加した国の顔ぶれは民主主義国(インド)、独裁国家(中国)、政教分離を徹底した世俗国家(ブラジル)、政教一致国家(サウジアラビア)、豊かな国(UAE)、貧しい国(エチオピア)、旧帝国(ロシア)、旧植民地(アルジェリア)と多彩だ。
これほどまとまりを欠いた国の集まりが、「国家連合」になりうるのだろうか。このような多様な国を結び付けている共通点があるとすれば、それは「恨み」だからだ。西側の優位に対する怒り、過去の屈辱に対する鬱憤だ。

膨大なエネルギーを生み出すとされる核融合に取り組んでいる物理学者には失礼かもしれないが、活用可能となった場合に宇宙で最も強力なエネルギー源があるとすれば、それは人間の恨みではないだろうか。
哲学者のニーチェは恨み(ルサンチマン)が世界を動かしていると論じた。ニーチェは第一次世界大戦の敗北で募った恨みがナチスドイツの台頭へとつながり、同胞のドイツ人を暴挙に駆り立てたことは見届けられないで死んだが。また、ソ連時代から縮小した帝国となり、ルサンチマン(恨み)を抱えていることを知らずして、現代ロシアは理解できない。
そして、究極の事例がトランプ前米大統領だ。ニューヨーク中心部から離れた地区出身の成り上がりで、おしゃれな上流社会からはセンスの悪さと日焼けした肌をバカにされてきた。ポピュリストの右派が生き生きとするのは、実はイデオロギー的な対立を巡ってではない。コンプレックスともいえる、本物または架空の上流社会へのいら立ちで盛り上がる。

恨みは憎しみと同じではない。憎む人は、憎しみの対象とは一切かかわりを持ちたくない。対照的に、憎む人は憎んでいる対象に半ば興味を持っている。
BRICS諸国のエリート層はロシア人に限らず、英ロンドン、南仏コートダジュールの高級保養地、フランスとイタリアの高級品、米国の大学をよく利用する。BRICSの国々を結び付けているエネルギーは、このルサンチマンの力だと言える。

まあこんな具合の論評だ。国という怪物も、一握りの為政者の「恨み」がエネルギーになっているとすると何とも恐ろしい人間社会だ。