’07.4.14
「カネは天下の回りモノ」。カネは足があって、人の懐から懐へ歩いて回る。そんなことから、お金のことをお足と言うようだ。
人の懐を駆け巡るうちはいいが、ひとっところに滞るとろくなことはない。インフレだとかデフレだとか経済に不調を来たす。今のようにモノの値段が安すぎると消費者はうれしいが、生産者や商売人は儲けがなくって苦しい。
実は経済の仕組みはそう単純ではなさそうで、うれしいはずの消費者も回りまわってお足のもらいが少なくって、こちらも苦しいときているから困ったものだ。

日経の夕刊に「新 マネー考」という連載ものの囲み記事があって読んだが、つくずくお金ってなんだろうと思う。腹の足しにもならない芸術品が、何億とか何十億円で取引される。
かと思うと本物の一万円札百枚をアクリル板に閉じ込めた芸術作品は、ネットオークションで33万4千円で落札されたという。何もしなければ百万円の札束が、芸術作品になると33万円、利用するか鑑賞するかでお金の価値はそこまで変わるかと驚かされる。

人の命はカネで買えないというが、カネがなくて食うものも買えず、助かる命も医療費がなくて命を落としている現実がある。格差社会は金だけの問題ではないが、大半の格差は金で解消する。
追い求めれば求めるほどに、遠ざかるようにも思えるお金。お金を持つ人も持たざる人も、お金が足らないと思っている。万が一のことを考えると、お金はあればあるだけ安心と思う。私なんかは家族のことを考えると、これからいつ死ぬかわからない中で、いくらあればいいのかその程がわからない。

金融広報中央委員会の調べでは、老後の生活が心配と答えた60才未満の世帯は、10年前の7割からいまや9割強になったとある。これからの年金制度に対する不安がその背景にあると分析している。
年金生活真っ只中の私も、働いてきたお陰でもらえる国からのお手当ても、きまりきまっているのでせめて利殖をと考える。株や投信にその道を求めると、時々の変動に一喜一憂する毎日となる。
最近は高額のお金を払ってでも、お金について学びたいという人が増えていると。どうしたらお金に困らなくなるのか。どうしたらうまく資産運用できるのか。どうしたら幸せになれるのか。

連載記事にでていたフィナンシャルプランナーは、「健康や家族、自由になる時間、趣味など幸せの尺度はたくさんある。足りないと思う前に、手持ちのお金でできることを考える。自分や家族、友人たちを幸せにする使い道を考える。お金とうまく付き合う方法は、ほかにない」と。

さらにお金とはいったい何だろう。そのプランナーは「幸せになるための、たくさんあるうちの一つの手段」だと。
しかし、明日の生活に困らないだけのお金がいつもないことにははじまらないのも事実だ。