’21.10.3
台風16号が日本の太平洋側に沿って北上、昨日からは台風一過秋晴れのいい天気が続いている。日向は真夏のような暑さを感じる。
クレマチスをまた2鉢追加した。去年から今年春にかけて育てたクレマチス、いまいち消化不良で来春にならないと生きているかどうか分からない。夏枯れするような植物なので、適当な場所がないだけに難しい。

一人暮らしを始めて丸2年が経過した。人生での究極の自由な生活を送っている。幸い年金で暮らせるので、食べ物には不自由しないが自分一人ではどうにもならない事態になった時どうするかの不安はある。
仏教のユーチューブを時々見るが、「人生はむなしいと思うか」というテーマで説教していた。その中に哲学者パスカルの言っていることに、「気晴らしがないと、人生は不安で倦怠だ」というような趣旨の言葉を残している。その言葉の後に「人間は考える葦である」という有名な言葉が続くらしい。

確かに「何かしていない」と「この年になって何のために生きているのか」と考えることがある。何かに気を取られていると、そのことに夢中になって余計なことは考えない。仕事だとか趣味がその「何かしている」ことになるのだろう。
会社生活をしているときは、ある時には仕事に夢中になり、ある時には稼いでいることを口実に自分だけの趣味に没頭したり、ほんのちょっぴりだが家庭の仕事をしたりして「自由」、「生きることのむなしさ」を意識することはなかった。家内の立場に立って、考えることもほとんどなかった。生きていることすら考えることがなかった。自死はあるときふと考えたことはある。

会社生活を終わって、自由な時間を趣味に夢中になって「人生のむなしさ」をあまり意識することもなかった。結局、今、究極の自由を手に入れて(全く一人になって)生きるってことを考えるようになった。
今からでも何か自分のできる仕事があれば、「不安も倦怠」も感じなくなると確信するほどの「気晴らし」になるだろう。「不安と倦怠」を考えないような何かないものか。待っていても来ないことは分かってはいるが。