’22.6.27
関東甲信越、南九州で梅雨明けらしい。梅雨入り宣言があって半月くらいしか経ってない、やはり気候はおかしい。
月一の大学同窓生のZoomミーティング、今回のお題は「80代になってどう毎日を過ごすか」だ。面白いお題だと思うし、考えてしまう。

新聞を前にして世界の出来事に思いをはせ、政治経済、コロナ、ガンの話題を読み、ぼんやりと考えることが毎日の楽しみだ。何もできないのだが、色々なことに思いを致すことが楽しい。
過去を振り返っても取り返しがつかないし、さりとて未来を見ても何が起こるか分からない、今を生きることに意義があるなんて、そんな説教をネットで見た。その通りだろう。
80のこの歳になって、体はなるようにしかならないので病気になったら延命の治療はお断りする。進歩を望むか、無理もできない体だ、進歩するだろうか。勉強する、頭がついてくるだろうか。進歩を望まないと絶望のみか。

趣味に生きる、やりたいことをする、そんな毎日でいいのではと言うやつもいるだろう。反論は必要もないが、何も考えないのは寂しい。何かできないのか、悩む毎日でもいいが、それで終わってしまってはなんだということになるだろう。わからんな。
独りで生活しているとつい死ぬことを考える。どうして死んだことを知らせるか、死んでからの後始末をどう、誰がするか。知ったことではないとは思うが、つい考えてしまう。

死生観
どんな病になっても、延命治療はしない
毎日をどう過ごす
過去を振り返っても仕方ない、未来を考えても明日何がおこるかわからない、今の時間をどう生きるかに意味がある。趣味に生きるもよし、旨いものを食らうもよし、運動するもよし、やりたいことをすることだ
心持
死ぬのを待って生きるほど馬鹿らしいことはない。世のため人のためになっていれば幸せだろう。そうでなければ後ろめたさが残る。心ここに置かない何かに夢中になって、今を忘れることだ
心掛け
朝起きたら、一つでいい今日のやることを見つけること、決めること。さすれば多少の充実感をもって毎日が遅れるだろう