またメタバースを考える    '23.3.26

Clusterを始めたのが去年の10月、それから半年が経つことになる。プラットホームはClusterしか知らないが140社くらいあるらしい。メタバースについて半年たったので思いを書いてみる。

メタバースなるものの定義はいろいろ語られているが、素人が感じるメタバースについてだ。直接メタバースを経験するのは、やはりプラットホームを通してのこととなる。
インターネットを通して経験するメタバース以外に、この概念を経験することがあるのかよくわからない。したがって、メタバースを実感するのは私にとってはClusterを通しての話に限定されるのでご了解願いたい。
このプラットホームで経験するのは、まずワールドを作ることの経験だ。ワールドを作るとは、メタバースを作ることではなく単なるプログラム類の技術の習得にほかならない。
そのうえで、このワールドを使っての経験がメタバースの経験ということになる。イベントの参加、見学、講習。次にはコミュニケーション、ゲーム感覚の遊び。
その仮想での遊びや行動に、リアル感覚を取り入れる技術的な生産。仮想でありながら、リアルに近づこうとする技術的発展。
そのことによって、時間的距離的な制約からの解放。そんな集積で、リアルな生活の何が変化し、効果を生むのか。それが所詮、メタバースの効用と定義できるのではないか。

メタバースの道具を提供する方はビジネスになるだろうが、それを享受する方はどんなメリットがあるのか。ビジネスの効率化のためにメタバースを使うのはそれなりにメリットがあるかもしれない。が、遊びで使う分には消費者でしかない。
この記事を書いていたら、29日付けの新聞に「日経メタバースプロジェクト」委員会座長の東大名誉教授 広瀬通孝氏の取材記事が出ていたのでつまみ食いする。

2022年はメタバース元年だった。バズワード的にもてはやされる狂乱状態は終わり、企業や研究機関、行政などを含め、社会全体がより現実的な方向に向かい始めた。
メタバースをめぐる議論の中心は技術だったが、今後は話の力点を変え、経済的な議論も詰める必要がある。
最大の課題は我々は今後、メタバースで何をするかという軸が明確でないことだろう。
メタバースが社会基盤になるための議論を深めたい。社会インフラとしての仮想空間の意味を考える必要がある。
現状はメタバースに対する社会認識は「なくても困らないが、あれば便利」というくらいなものだろう。「なくてはならないもの」に変え、社会の基盤へと育てていくべきだ。
メタバースは最終的に何を目指すか、新しい仮想空間を使ってみんなで何をするか、今はなんとでもなる段階だ。既得権益はなく、意外な業種がビジネスの領土として活用してくるはずだ。さらに重要なのは、社会問題の解決にメタバースを生かすことだ。
若年労働者と工業生産を中心とした社会は、高齢化が進む今の日本向きではない。メタバースで新しい社会の仕組みやルールを作る意義は大きい。そのためにメタバースは最終的に信頼できる安定した社会基盤になるひつようがある。

今メタバースを考えるとすれば、大変有用な話のような気がするのでパクった。とりわけ高齢者の生活する上での社会インフラになれば、これからの日本の大きな力になるだろう。

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