’08.1.25
盛りを過ぎてわたしもそろそろ6才になろうとする頃、突然やってきたサリー。それ以来、やんちゃなサリーに引っ掻き回わされて、老化もすっかりどこかへ行ってしまったわたしでした。
それから6年、先輩のわたしをさいおいてご主人達に心配を掛けたり喜ばせたり、わたしも傍にいてはらはらどきどき、お陰で何だかわたしも若返ったような気分になったのは確かです。

そんなサリーでしたが、何をするにも必ずわたしの方をチラッとみたました。わたしに気を使っていたのか、それとも誇らしげにわたしを見ていたのか、今にして思うとサリーもそれなりにわたしに気を使っていたのだと思います。

そんなサリーが、わたしを置いてさっさと居なくなりました。
これまでも何回かわたしの傍からいなくなって、どれだけホッとしたかしれませんが、居ないとまたそれなりに寂しくなったものでした。寂しくなった頃また戻ってきては、わたしの穏やかな生活を引っ掻き回したものです。

しかし今度ばかりは、ほんとうにわたしの傍から居なくなってしまいました。
主人は気が付かなくて慙愧の念に耐えないようですが、サリーの変調はそれはまったく突然やってきました。何と表現したらいいのか分かりませんが、空高くなびいていた凧が、突然逆さまになって急降下していくような感じでした。

一緒に散歩しても、必ずちやほやされるのはサリーでした。くやしいけれど最近はそれも慣れっこになって、わたしの妹が可愛がられてそれもわたしの幸せと思うようになりました。確かにわたしから見ても、すばらしい妹でした。
この数日間、何でそんなすばらしい妹があんなにまでも苦しまなくてはならないのか、どうしてという思いで一杯です。そしてきのう、サリーはその苦しみからやっと解放されたのでした。

苦しみから解放されたサリーは、いつものソファーで安らかな顔をして気持ちよさそうに長々と寝そべっています。わたしも悔しいから、反対のソファーの端で小さくなって横になってみるのですが何だかどうも落ち着きません。
そんなわたしを主人やお母さんは、笑っているのか泣いているのか、くしゃくしゃな顔をして見ていました。
そして今朝、サリーは主人とお兄さんに抱えられてソファーを降りてゆきました。もう一人では動けないのです。

昼ごろに戻ってきた主人とお母さんに、サリーがこの小さな箱の中に居ると教えてくれました。わたしがいくら匂いを嗅いでも、サリーの匂いはしません。
今日からまたわたしは一人、思いっきりソファーのうえでひっくり返ってもがいていても、もう邪魔をして一緒にソファーに乗ってくるサリーはいないのです。
まだ続くわたしの犬生のなかで、疾風のように通り過ぎて行ったようなサリー。今日からまたわたしは一人。

この日記も益々ネタが無くなることでしょうが、今年の8月が来ると丸10年書き続けることになります。それまでは何とか続けてゆきたいと、主人ともども思っております。