’08.2.1
サリーが死んでから一週間、腑抜けのようになった主人達ですが、時間の経過が少しづつサリーの居なくなった悲しみを癒してくれるようです。

病院を退院して、いや、もはや治る見込みのないサリーを家に連れて帰って、少しでも長い時間主人達と一緒に居てリラックスさせてやりたいという思いがあっての退院でした。
病院でのサリーの苦しみはいかばかりだったことでしょう。それにも増して、帰ってからのサリーの苦しみは計り知れません。
必死に苦しみを我慢するサリーを見ていて、主人達はもとよりわたしまで辛く切なくなりました。

一言も鳴くこともなくソファーに横になって、もどしたくなったり用が足したくなったら立ち上がってソファーから降り、主人達を見て庭に出して欲しいといいます。庭に出してもらうと苦しそうに嘔吐し、真っ黒な便を搾り出すように排泄します。
何も食べなくなって、皮下点滴で吸収した水分がこんなにまでも苦しそうに体から出て行くのは、見ているだけでも可愛そうでなりませんでした。

庭に出たサリーは、家の中に入ろうとはしません。気分はいつももどしたい・・、そんな嫌な気持ちがつづいているんでしょう。主人はそんなサリー抱きかかえて、ソファーに上げてやりました。
横になったサリーは苦しいのでしょうか、しきりと体の位置を変えます。目を閉じて眠ろうとしますが、眠れないようです。横になったサリーは体は動きませんが、目は一生懸命主人達を追っています。

そんなサリーですが、病院に行く時は自分からボックスカーに飛び乗るのには驚きました。病院でも嫌がる様子もなく、点滴をじっとして受けてました。
すっかり涙腺のゆるくなった主人は、そんなサリーを見ては家の中はもとより、治療中の先生の前でも涙をこらえ切れません。

嘔吐が30分おきになりました。頭が痙攣するようにもなりました。口の中に潰瘍ができたようで、血の塊を吐き出すようになりました。
それでもサリーは立ち上がって、庭に出たいといいます。
腎臓以外の臓器は、血液検査の結果はまったく異常ありません。まだまだ若いサリーの命のともし火が、そんなに簡単に消えるわけはありません。
それだけに、必死に生きようとするサリーの苦しみが痛いほど分かります。

その時がきました。ソファーの上で、全身猛烈な痙攣です。どれほどの痙攣が続いたでしょうか、痙攣が止んだと思ったら、しばらくして4本の足を上に向けて猛烈に伸ばしました。
そして今までに聴いたことのないような、体全体からの唸るような声を2、3回上げたかと思うと、す〜と体から力が抜けていったのでした。まだまた若いサリーの壮絶な死です。

「あれ、黒い犬はどうしました。」このところ、散歩は当然主人とわたしだけです。
「死にました」
「え〜、あんなに元気そうにしていたのに」 「腎臓が悪かったようです」
「分からなかったんですか」 「・・・・」 主人にとっては一番辛い質問です。
「さぞ、お母さんがっかりしているでしょう」「この犬もなんだか寂しそうですね」

わたしの食餌のとき、しばらく忘れていた呪文が復活しました。
「天の神様、地の神様、人の神様、どうかこの子がいい子でありますように。そして長生きしますように」
主人の唱える食餌前の呪文で、前と違うのは最後の一言が入ったことでした。

サリーの死は、わたしの家族の全員の深い悲しみです。
その中でも、とりわけ悲しみの深いのは主人であることは家族の皆が分かっています。何せわたしから見たら、サリーは主人の舎弟ですもん。
サリーが苦しんでいる時、あんなにサリーを励まし涙した主人。
サリーの死が近づくにつれ、そして死んでから、その涙も見せなくなりました。枯れてしまったのでしょうか。

もう新たにサリーのことを書くことはできませんが、このサイトの中で生き生きと動くサリーを見れるは、何よりも幸せなことです。