’11.12.29
先日テレビを見てたら玄葉外相の発言が気になった。スーチンさんとの共同記者会見で「大震災から復興なった日本を見てもらいたい」。スーチンさんとの会談で、日本訪問を要請したらしい。
先日の野田首相の福島原発の現状を、政府の収束計画のステップ2の完了する日に、「原発そのものは収束した」と発表した。もう震災も原発も、かたがついたかのよう発言の仕方だ。
「復興なった」や「収束した」このいずれの発言も、為政者と当事者の心情があまりにも違いすぎるのに驚かされる。発言の中身を突っ込んで聞かれると、いくらでも言い訳の言葉がでるだろう。政治家の発言だから。
当事者を見守る立場からすると、当事者の苦しみをよそに早くそのことから逃げ出したい、もう苦しみは治まっていると思いたいのだろう。当事者が我慢し、努力して一生懸命平静な暮らしをしようとしているにも拘らず。そんな当事者を見て、民は平穏だと思いたい為政者の心情がついつい発言の端にでているように思う。

今の政治家は与党も野党も、国民の気持ちに沿って動いているとは思えない。政争にあけくれ、選挙に勝つために有権者の顔色を伺い、民意だと言って数を頼りに強引に国民の期待する方向とは別の方へ突き進む。
野党がいなくては与党の、政府のやりたい放題になるだろうが、誰が考えてもこの方向がいいという道をなぜ力をあわせて進まないのだろうか。余計なエネルギーばかりを使って、国そのものが衰えてはもともこもない。
ラムの老々介護もいいが、たまにはこんなことも考えてみたい・・・と柄にもなく思う年の瀬であります。